GINAと共に
第60回 同性愛者の社会保障(2011年6月)
来たる2011年7月3日はタイの総選挙の投票日で、目下バンコクのみならずタイ全域で選挙活動が大変盛り上がっています。今回の選挙は大変わかりやすい構造で、現与党党首(現首相)である民主党のアピシット氏と、タイ貢献党(Pheu Thai)のインラック・シナワット氏の事実上の一騎打ちとなります。インラック氏は、現在海外に亡命中のタクシン元首相の妹です(注1)。
アピシット首相は現在46歳ですが、実年齢よりも若く見え、インテリ風の美男子ですが、対するインラック氏も43歳の美形であり、このあたりも選挙戦が盛り上がっている理由のひとつかもしれません。現在の世論調査ではインラック氏が一歩リードしているようですが、タイ貢献党の単独過半数は困難という見方も強く、タイのみならず全世界から注目されている選挙といえます。
さて、今回お話したいのはタイの政治についてではありません。今回取り上げたいのは「同性婚」についてです。意外に思われるかもしれませんが、タイでは同性婚がいまだに認められていません。現在、同性愛を擁護する団体が、同性婚を認可するよう現与党の民主党及びタイ貢献党に公約を求めています。
2011年5月31日のThe Nation(タイの英字新聞)によりますと、同性愛者の団体のリーダーであるナティー氏(Natee Teerarojjanapongs)と、性転換をしている歌手のジム・サラ氏(Jim Sarah)らが、5月30日、民主党とタイ貢献党の双方に「政権与党となれば、同性婚を認可してもらいたい。同性愛者は、有権者の10%に相当する約400万人に上る。我々にも法的保護、社会保障を受ける権利があるはずだ」と訴えたそうです。
さて、多くの人が感じるものと思われますが、タイほど同性愛に寛容な国は他に見当たりません。なにしろ、中学生くらいから男子生徒の1~2割は、いかにもゲイ、という格好をしていますし、そのような生徒と普通の(ストレートの)女子生徒が普通に会話をしているシーンは電車や街の中でよく見かけます。
日本では、学生はもちろん、社会人でも同性愛者であることをカムアウトしている人はそれほど多くはありません。私の知る限り、日本の大企業の社員や公務員で同性愛者であることを職場でカムアウトしている人はほぼ皆無ですし、(おそらく他の職種よりも同性愛者の比率が多いと思われる)医療者でさえ、勤務先でカムアウトしている人をほとんど知りません。患者として私の診察を受けている医療者に同性愛者は少なくありませんが、これまで私が勤務してきた医療機関で、つまり同僚として接する医療者のなかには、同性愛者であることを私にカムアウトした人はひとりもいません。外資系の航空会社の男性フライト・アテンダントにゲイが多いというのは多くの人が感じていることだと思いますが、日本ではあまり聞きません。
私の知る限り、日本で同性愛者であることを職場でカムアウトしているのは、例えば社長がゲイであることを公言している比較的小さなデザイン会社とか、同性愛者が集まる飲食店の店員とか、あるいは同性愛者であることを売りにしている芸能人などに限られます。
本当は、同性愛者であることは恥ずかしいことでもなんでもないわけで、堂々としていればいいのですが、それができないところに日本社会の閉鎖性を見て取れるように感じます。
話をタイに戻しましょう。タイでは、中学生くらいから同性愛者であることをカムアウトしている人は非常に多いですし、一般企業で働く人もごく普通にカムアウトしています。私も、タイ人の知り合いで男性同性愛者、女性同性愛者、両性愛者(バイセクシャアル)などがいますが、みんな普通に仕事をして普通に恋愛を楽しんでいます。最も驚かされるのは大学生でしょう。タイの大学では、それも一流であればあるほど、男性の同性愛者の比率が増えます。大学や学部によっては9割の男子学生が同性愛者なんてところもあります。(理系はそうでもありませんが、医療系はやはり同性愛者が多いようです)
ただ、タイの同性愛者の全員が同性愛者であることのハンディを感じていないか、と言えばそういうわけではなく、なかには同性愛者であることを隠している人もいますし、同性愛者であることが周囲に知られて職場で差別的な扱いを受けるようになったという人がいるのも事実です。
同性愛のかたちのひとつにレディボーイ(日本風に言えばニューハーフ)がありますが、彼女(彼?)らは、女装していないゲイに比べると幾分社会で生きにくさを感じているようです。(下記コラムも参照ください) しかし、特殊な例かもしれませんが、フライト・アテンダントにレディボーイを登用するという新興航空会社も登場しました。この会社は「PCエアー」といい(PCはPhuket Carrierの略)、当初の発表では、2011年2月から、バンコクと関西・成田、及びバンコクと(韓国の)仁川を結ぶ路線に就航する予定でした。しかし、現時点(2011年6月)でも就航決定の案内がされておらず、(タイのことですから・・・)このまま消えていくのかもしれません。(注2)
先に述べたThe Nationの報道によりますと、2つの政党に嘆願に出向いたナティー氏は「パートナーとは17年間も夫婦同然に暮らしているが、男女の夫婦のように社会的保護を受けることができない。例えば、もし私に緊急手術が必要となったとしても、パートナーは手術同意書に署名することすらできない」とコメントしています。
タイでは男女のカップルで子供が数人いたとしても、籍を入れていない、なんてこともよくありますし、元々社会保障が手厚い国ではありませんから、同性婚を認可する・しない、というのはそれほど問題にならないのかな、と私は感じていたのですが、たしかにナティー氏が主張するような問題は切実と言えるでしょう。
タイという国は、東北地方(イサーン)に行けば、地域あたりの一人あたりのGDPが日本円で年間10万円程度であり、先進国との格差を強く感じますが、バンコクやパタヤ・プーケットなど一部のリゾート地をみていると、先進国との差はありません。特に、都心に住む同性愛者の人たちからみれば、同性婚が認可されなければ社会保障の観点からハンディを背負うことになるのかもしれません。
同性婚は現在では多くの国や地域で認められています。また、「同性婚」そのものが認められなかったとしても従来の夫婦と同様の権利を認める「パートナーシップ法」が施行されている国や地域も多数あります。というより、イスラム社会を除けば、先進国で同性愛者が法的に擁護されない国は、シンガポール、ロシア、日本、韓国くらいに限定されます。ちなみに、中国は法律そのものはありませんが一度全国人民代表会議で同性婚が提案されたことがありますし、カンボジアでも、シアヌーク国王が同性婚を支持すると発表したことがあるそうです。日本では同性婚どころか、同性愛者の社会保障が国会で議論されたことすらほとんどないのではないでしょうか。(注3)
最後に再びタイの話に戻します。マスコミの報道によりますと、ナティー氏らの「同性婚認可を公約に入れてほしい」という申し入れに対し、両政党とも「党内で検討する」という回答はしたものの、「同性婚を公約する」とは言及していないようです。
しかし、あらためて考えてみると、有権者の10%に相当する約400万人が同性愛者であるということは、同性愛者の存在が政権維持に大きな影響を与えるのは間違いないでしょう。
同性愛者におけるHIVの新規感染は、90年代ほどではないにせよ、下げ止まりの状態が続いており、タイでは「同性愛者」は「主婦」と並んでHIVの最たるハイリスクグループとなっています。同性愛者に対するHIV対策を効果的におこなうためにも、同性愛者の団体の意向を政府が尊重すべきではないかと思われます。
注1:インラックは名、シナワットが姓ですが、タイでは通常姓ではなく名が使われます。このためマスコミ報道などでも姓ではなく名が伝えられますし、長年連れ添っている友達同士でも互いに姓を知らないということがよくあります。
注2:PCエアーの今後の就航がどうなるかは現時点では未定ですが、興味のある方は同社のウェブサイトをチェックしてみてください。
http://www.pcairline.com/
注3:日本の興味深いところは、同性愛者のタレントが多く、テレビにもよく登場するということです。タイのテレビにも同性愛者はよく登場しますが、私の知る限りタイと日本を除く国では、これほどテレビに同性愛者が出演しません。そもそも西洋諸国で同性婚の議論が起こり、認められるようになったのは、実際には差別や偏見が根強く存在するからであり、現在でもテレビに堂々と同性愛者が登場するということはあまりありません。この点に関して、私は日本の同性愛事情のユニークさに関心を持っているのですが、今回の議論とは離れますのでこれ以上は述べないでおきます。
参考:GINAと共に第12回(2007年6月)「レディボーイの苦悩」
アピシット首相は現在46歳ですが、実年齢よりも若く見え、インテリ風の美男子ですが、対するインラック氏も43歳の美形であり、このあたりも選挙戦が盛り上がっている理由のひとつかもしれません。現在の世論調査ではインラック氏が一歩リードしているようですが、タイ貢献党の単独過半数は困難という見方も強く、タイのみならず全世界から注目されている選挙といえます。
さて、今回お話したいのはタイの政治についてではありません。今回取り上げたいのは「同性婚」についてです。意外に思われるかもしれませんが、タイでは同性婚がいまだに認められていません。現在、同性愛を擁護する団体が、同性婚を認可するよう現与党の民主党及びタイ貢献党に公約を求めています。
2011年5月31日のThe Nation(タイの英字新聞)によりますと、同性愛者の団体のリーダーであるナティー氏(Natee Teerarojjanapongs)と、性転換をしている歌手のジム・サラ氏(Jim Sarah)らが、5月30日、民主党とタイ貢献党の双方に「政権与党となれば、同性婚を認可してもらいたい。同性愛者は、有権者の10%に相当する約400万人に上る。我々にも法的保護、社会保障を受ける権利があるはずだ」と訴えたそうです。
さて、多くの人が感じるものと思われますが、タイほど同性愛に寛容な国は他に見当たりません。なにしろ、中学生くらいから男子生徒の1~2割は、いかにもゲイ、という格好をしていますし、そのような生徒と普通の(ストレートの)女子生徒が普通に会話をしているシーンは電車や街の中でよく見かけます。
日本では、学生はもちろん、社会人でも同性愛者であることをカムアウトしている人はそれほど多くはありません。私の知る限り、日本の大企業の社員や公務員で同性愛者であることを職場でカムアウトしている人はほぼ皆無ですし、(おそらく他の職種よりも同性愛者の比率が多いと思われる)医療者でさえ、勤務先でカムアウトしている人をほとんど知りません。患者として私の診察を受けている医療者に同性愛者は少なくありませんが、これまで私が勤務してきた医療機関で、つまり同僚として接する医療者のなかには、同性愛者であることを私にカムアウトした人はひとりもいません。外資系の航空会社の男性フライト・アテンダントにゲイが多いというのは多くの人が感じていることだと思いますが、日本ではあまり聞きません。
私の知る限り、日本で同性愛者であることを職場でカムアウトしているのは、例えば社長がゲイであることを公言している比較的小さなデザイン会社とか、同性愛者が集まる飲食店の店員とか、あるいは同性愛者であることを売りにしている芸能人などに限られます。
本当は、同性愛者であることは恥ずかしいことでもなんでもないわけで、堂々としていればいいのですが、それができないところに日本社会の閉鎖性を見て取れるように感じます。
話をタイに戻しましょう。タイでは、中学生くらいから同性愛者であることをカムアウトしている人は非常に多いですし、一般企業で働く人もごく普通にカムアウトしています。私も、タイ人の知り合いで男性同性愛者、女性同性愛者、両性愛者(バイセクシャアル)などがいますが、みんな普通に仕事をして普通に恋愛を楽しんでいます。最も驚かされるのは大学生でしょう。タイの大学では、それも一流であればあるほど、男性の同性愛者の比率が増えます。大学や学部によっては9割の男子学生が同性愛者なんてところもあります。(理系はそうでもありませんが、医療系はやはり同性愛者が多いようです)
ただ、タイの同性愛者の全員が同性愛者であることのハンディを感じていないか、と言えばそういうわけではなく、なかには同性愛者であることを隠している人もいますし、同性愛者であることが周囲に知られて職場で差別的な扱いを受けるようになったという人がいるのも事実です。
同性愛のかたちのひとつにレディボーイ(日本風に言えばニューハーフ)がありますが、彼女(彼?)らは、女装していないゲイに比べると幾分社会で生きにくさを感じているようです。(下記コラムも参照ください) しかし、特殊な例かもしれませんが、フライト・アテンダントにレディボーイを登用するという新興航空会社も登場しました。この会社は「PCエアー」といい(PCはPhuket Carrierの略)、当初の発表では、2011年2月から、バンコクと関西・成田、及びバンコクと(韓国の)仁川を結ぶ路線に就航する予定でした。しかし、現時点(2011年6月)でも就航決定の案内がされておらず、(タイのことですから・・・)このまま消えていくのかもしれません。(注2)
先に述べたThe Nationの報道によりますと、2つの政党に嘆願に出向いたナティー氏は「パートナーとは17年間も夫婦同然に暮らしているが、男女の夫婦のように社会的保護を受けることができない。例えば、もし私に緊急手術が必要となったとしても、パートナーは手術同意書に署名することすらできない」とコメントしています。
タイでは男女のカップルで子供が数人いたとしても、籍を入れていない、なんてこともよくありますし、元々社会保障が手厚い国ではありませんから、同性婚を認可する・しない、というのはそれほど問題にならないのかな、と私は感じていたのですが、たしかにナティー氏が主張するような問題は切実と言えるでしょう。
タイという国は、東北地方(イサーン)に行けば、地域あたりの一人あたりのGDPが日本円で年間10万円程度であり、先進国との格差を強く感じますが、バンコクやパタヤ・プーケットなど一部のリゾート地をみていると、先進国との差はありません。特に、都心に住む同性愛者の人たちからみれば、同性婚が認可されなければ社会保障の観点からハンディを背負うことになるのかもしれません。
同性婚は現在では多くの国や地域で認められています。また、「同性婚」そのものが認められなかったとしても従来の夫婦と同様の権利を認める「パートナーシップ法」が施行されている国や地域も多数あります。というより、イスラム社会を除けば、先進国で同性愛者が法的に擁護されない国は、シンガポール、ロシア、日本、韓国くらいに限定されます。ちなみに、中国は法律そのものはありませんが一度全国人民代表会議で同性婚が提案されたことがありますし、カンボジアでも、シアヌーク国王が同性婚を支持すると発表したことがあるそうです。日本では同性婚どころか、同性愛者の社会保障が国会で議論されたことすらほとんどないのではないでしょうか。(注3)
最後に再びタイの話に戻します。マスコミの報道によりますと、ナティー氏らの「同性婚認可を公約に入れてほしい」という申し入れに対し、両政党とも「党内で検討する」という回答はしたものの、「同性婚を公約する」とは言及していないようです。
しかし、あらためて考えてみると、有権者の10%に相当する約400万人が同性愛者であるということは、同性愛者の存在が政権維持に大きな影響を与えるのは間違いないでしょう。
同性愛者におけるHIVの新規感染は、90年代ほどではないにせよ、下げ止まりの状態が続いており、タイでは「同性愛者」は「主婦」と並んでHIVの最たるハイリスクグループとなっています。同性愛者に対するHIV対策を効果的におこなうためにも、同性愛者の団体の意向を政府が尊重すべきではないかと思われます。
注1:インラックは名、シナワットが姓ですが、タイでは通常姓ではなく名が使われます。このためマスコミ報道などでも姓ではなく名が伝えられますし、長年連れ添っている友達同士でも互いに姓を知らないということがよくあります。
注2:PCエアーの今後の就航がどうなるかは現時点では未定ですが、興味のある方は同社のウェブサイトをチェックしてみてください。
http://www.pcairline.com/
注3:日本の興味深いところは、同性愛者のタレントが多く、テレビにもよく登場するということです。タイのテレビにも同性愛者はよく登場しますが、私の知る限りタイと日本を除く国では、これほどテレビに同性愛者が出演しません。そもそも西洋諸国で同性婚の議論が起こり、認められるようになったのは、実際には差別や偏見が根強く存在するからであり、現在でもテレビに堂々と同性愛者が登場するということはあまりありません。この点に関して、私は日本の同性愛事情のユニークさに関心を持っているのですが、今回の議論とは離れますのでこれ以上は述べないでおきます。
参考:GINAと共に第12回(2007年6月)「レディボーイの苦悩」