GINAと共に

第58回 歓迎されないボランティア(2011年4月)

 前回のこのコラムでは、「ボランティアは長期でおこなうべき」ということを私の経験を交えて紹介しました。東日本大震災をみても、大地震と津波が生じた3月11日直後には急性期の災害医療に長けた医療チーム(DMATが有名です)が活躍しましたが、その後は、高血圧や糖尿病など慢性の疾患に対するケアや、「眠れない」「不安がとれない」といった精神症状に対するアプローチが必要になり、現場からも「ボランティアは長期で来てもらいたい」という声が大きくなってきました。

 今回は、「長期でおこなう」以外に、ボランティアにはどのようなことが求められるのか、あるいはボランティアがやってはいけないことは何なのか、といったことについて私の体験を踏まえて考察していきたいと思います。

 まず、絶対に忘れてはいけない1つめのルールは、「ボランティアは謙虚な気持ちでおこなわなければならない」というものです。

 ボランティアを一度でもおこなったことのある人なら分かると思いますが、ボランティアというのは<大変気持ちのいいもの>です。ときに大変な重労働を強いられ、かつ基本的に無償ですから、ボランティアが気持ちのいいものなどと言うと、経験のない人は「えっ?」と思うかもしれません。

 しかし、ボランティアは大変気持ちのいいものなのです。この理由のひとつは、困っている人を支援することで「絶対的に正しいことをしている」という自負が得られることにあると思います。これは一般の仕事と比較してみるとわかりやすいでしょう。例えば、あなたが株式会社Xに勤務していて、X社製のAという商品を担当しているとしましょう。あなたの任務はAの販売促進ですが、顧客にとってAを買わなければならない絶対的な理由が果たしてあるでしょうか。顧客からすればY社製のBという商品の方がいいかもしれませんし、そもそもAもBも顧客には必要のないものかもしれません。一方、ボランティアは目の前の困っている人を支援するのがミッションですから、これが絶対的に正しいのは明らかです。

 自分は絶対的に正しいことをしているんだ、しかも無償でおこなっているんだ、という意識が士気を高揚させます。そして、ハイテンションのなか、ますます重労働を率先して引き受けるようになっていきます。さらに支援を受ける人から感謝の言葉が送られ、この言葉が励みになり、高揚感が一層加速されていくのです。

 もちろんいくら高揚感が強くなっても、状況を冷静に判断し、仲間との連携を上手くとり、支援を受ける人から感謝されていれば問題はありません。しかし、ときにこの高揚感が暴走してしまうことがあるのです・・・。

 例えばボランティア同士で意見が対立するということがあります。こういうとき、「まずは相手の意見を聞いて、その意見を自分が理解できていることを相手に認めてもらうまでは自分の意見は言わない」という社会のルールを忘れがちになります。ハイテンションで重労働を続けているなかで冷静さを見失ってしまうのです。

 また、支援を受ける側の愛想が悪かったり、感謝の言葉がなかったりすると気分を害するボランティアがいます。少し考えれば分かりますが、支援を受ける側というのは心身とも大変疲労しているわけです。たしかにボランティアに来てもらえるのはありがたいのですが、一日中笑顔で「ありがとう」を言い続けるのは疲れます。ごく一部ではありますが、「ボランティアしてあげてるのに感謝の言葉がない」という理由で不満を漏らすボランティアがいます。

 「謙虚さ」というのは古今東西どこにいっても普遍的な社会の原則ではありますが、このボランティアという行為をおこなうときには特に注意しなければなりません。謙虚さを忘れたボランティアほど見苦しいものはありません。謙虚な気持ちを忘れずに、困っている人のために何ができるかを考え、実践する。もちろん、感謝の言葉などの見返りは求めない、そして、他のボランティアに敬意を払い謙虚な態度で自分がすべきことをする、このような態度が重要になります。

 もうひとつ、ボランティアが忘れてはいけないルールを紹介したいと思います。それは「郷に入っては郷に従え」というものです。

 これもどこででも必要な社会常識といえばその通りです。例えば、あなたが転職したとして、転職先の仕事の方法が気に入らなくて、「前の会社ではこのようにしていた・・・」などと発言すれば、その瞬間からあなたは総スカンをくらうでしょう。「じゃあ何でそんな素敵な会社を辞めちゃったの?ウチの会社がイヤならさっさと前の職場に戻ったら?」と言われるだけです。

 「郷に入っては郷に従え」というルールがボランティアにとっても常識なのは少し考えればすぐに分かることかもしれませんが、それでもあえて強調したいと思います。その理由は、先にも述べたように「絶対的に正しいことをしている」という感覚が冷静さを失わせることがある、というものです。「ボランティアの行為は絶対的に正しい」から「自分の考えは絶対的に正しい」と移行してしまうことがあるのです。

 例をあげましょう。タイ国ロッブリー県のパバナプ寺(Wat Phrabhatnamphu)での私の経験です。拙書『今そこにあるタイのエイズ日本のエイズ』で詳しく紹介しましたが、この施設は世界的に有名で、毎日多くの観光客が訪れます。そして観光客は重症病棟にも入ってきてプライバシーのまったくない重症患者さんを見学していきます。例えば、患者さんが嘔吐していても、下着を交換していてもおかまいなしです。この光景は我々外国人からみると極めて異様であり、患者さんのために(というより常識的に)直ちに止めてもらいたいと考えます。

 そして、欧米人ボランティアはそれを強く主張します。「患者の権利(patients' right)」とか「プライバシー(privacy)」という言葉を多用して、いかにこの施設が世界の常識(global standard)から逸脱しているかということを訴えます。しかし、ここはタイなのです。実際、当時の患者さんのほとんどは、その観光客の重症病棟入場に関して「マイペンライ(かまわないよ)」と言っていました。

 私自身もこの光景には当初は大変驚きましたが、これがボランティアが忘れてはいけない「郷に入っては郷に従え」ということなんだ、と納得しました。もちろん、このような観光客の"見世物"のような方針に納得しない患者さんがでてくれば、それを施設側に訴えていかなければなりませんが、その場合も、ただ正論を振りかざすのではなく、相手の立場を理解したうえで(もっと言えば、「あなた方の考えを私が理解できているかどうかあなた方に確認していただきたいのです」という態度で)、自分の考えを述べていかなければなりません。

 重症の患者さんのためを思って正論を主張し続けた欧米のボランティアの一部は、やがて施設を追われることになりました。出て行ったボランティア達は、正しいことを言っただけなのになんで自分達が追い出されないといけないんだ、と腑に落ちなかったに違いありません。(前回のコラムで述べたように、欧米のボランティアの多くは長期で支援するつもりで来ているのに、です)

 ここに紹介したのはタイの話であり、日本人が日本人を支援するときにはここまで極端に理解しがたいことはないでしょう。しかしそれでも、「すべての共同体やコミュニティには独自のルールや考え方がある」、ということを忘れてはいけません。

 もしもあなたがこれからボランティアを始めようとしているならば、自分自身がどれだけ活躍しようが、どれだけ重労働を担おうが、あるいはどれだけ困窮している人たちから感謝されようが、「謙虚さを忘れない」「郷に入っては郷に従え」という2つのルールは肝に銘じておくべきだと思います。