GINAと共に

第56回 HIVの検査を普及させるための2つの案(2011年2月)

 2008年をピークに、世間のHIVに対する関心が低下していることがしばしば指摘されます。

 詳しい数字は省略しますが(下記注参照)、2010年は検査数・相談数が大幅に減少し、いきなりエイズが過去最多を記録しています。これは世間のHIVに対する関心がいかに低下しているかということを示しています。HIVの検査というのは、自主的におこなうべきものですから(強制されるべきものではありません)、世間の関心が低下すれば、当然検査数は減少します。

 では、世間の関心が低下しているのは誰の責任なのかというと、これは大変むつかしい問題です。HIV検査のPR活動を小さくした行政の責任なのかと言えば、そうも言えないと思います。たしかに、2007~2008年あたりは行政がお金をかけて、テレビCMやポスターを作成したり、電車内の広告をおこなったりして、HIV検査を促し、その結果検査を受ける人が増えましたから、これは評価されるべきです。しかし、こういったPRにはお金がかかり、そのお金は税金でまかなわれていることを考えると、いつまでも派手な啓発活動を続けるわけにはいきません。

 では、すでに感染している人が知人や地域社会に働きかけて検査を促すべきなのでしょうか。偏見や差別が蔓延している社会を考えれば、感染者がカムアウトすることは簡単ではありませんから、こんなことは不可能です。

 HIV感染が判明するのは、自主的に保健所で検査を受けて・・・、というケースもありますが、当然、医療機関で発覚、というケースもあります。HIVというのは感染症ですから、他の感染症と同様に本来医療機関で診断をつけるものであるはずです。

 しかし、実際には、その患者さんは同じ医療機関に長年通院していたのにHIV感染が発覚したのはエイズを発症してから・・・、というケースが珍しくありません。

 なぜこのようなことが起こるのでしょうか。医師に診断能力がないのでしょうか。もちろんそのような可能性も否定はしませんが、実は医師にはHIVの診断に関する大きなジレンマがあります。

 それは、HIVの検査をしても保険診療が認められない、ということなのですが、これを説明するのに、日本の医療保険制度をおさえておきたいと思います。

 例をあげましょう。例えば、あなたが37.5度の発熱が2日続いたためにAクリニックを受診したとしましょう。ちょうどインフルエンザが流行っているために医師はインフルエンザの検査をおこないました。結果は陰性で、単なる風邪と診断され、医師は解熱鎮痛薬のみ処方しました。このとき、あなたはかかった医療費の3割のみを負担し、7割についてはAクリニックが健康保険の審査機関に請求します。このとき健康保険の審査機関は、書類(レセプトといいます)を見てその診療行為が妥当かどうかを審査します。そして、その診療行為が適切であると判断されれば、Aクリニックが請求したとおり7割が支払われるという仕組みです。このケースでは、診療行為が認められないということはまずないでしょう。

 では、あなたが今回の発熱に対してHIVを疑っているとすればどうでしょう。発熱は危険な性交渉の約2週間後に起こりました。しかも、その性交渉が原因で10日前には淋病にかかっていたとしましょう。さらに、半年前には別の性交渉で梅毒感染していたとします。今のところ発熱は2日だけですし、他には症状はありません。あなたは思い切ってHIVを心配していると医師に告げたとします。医師も、その状況ならHIV感染は否定できないと判断しました。では、保険を使ってHIVの検査をすればいいではないか、と"常識的には"考えられますが、これが認められないのです。

 実際私は、患者さんの話からHIVを疑って保険診療でHIV検査をおこなったことが過去に何度もありますが、ほとんど認められた試しがありません。ひどいときなど、HIV陽性であったのにもかかわらず検査自体が認められなかったのです。認められないとはどういうことかというと、診察時には検査代の3割を患者さんから徴収しますが、残りの7割が支払われないために医療機関の赤字となってしまうのです。

 発熱という症状がある場合でさえ検査が認められないわけですから、単に危険な性交渉がある、というだけでは、保険を使っての検査など到底できません。HIV感染が判明する多くのケースではまったく症状がないのに、です。

 おそらく行政の言い分としては、「そのために保健所で無料検査が受けられるではないか」となるのでしょうが、保健所だと、検査を受けられる時間が限定されている、とか、すぐに結果が出ずに1週間も待たされる、などの問題もありますし、患者さんの気持ちとしては、「なんで病気のことが心配で病院に来ているのに検査してもらえないの?」となります。

 それに、患者さん自身がHIV感染を気にしているときは、まだ納得してもらいやすいのですが、患者さんは疑っていないけれども診察をした医師がHIV感染を否定できないと考えたときに、「HIVの可能性がありますから保健所に行ってください」とは言いにくいものです。なぜなら、患者さんからすれば「HIVの可能性があるならここで検査してくださいよ!」となるからです。

 我々医師の立場からみても、早く検査を受けるべきなのに、「保健所に行ってください」と言うのは、実は大変心苦しいのです。ですから、私の場合、目の前の患者さんがHIV陽性である可能性が高いと考えれば、保険が認められなくても患者さんには3割負担だけで検査をおこなうこともあります。あるいは、感染間もない時期であることが予想されれば、抗体検査では不正確ですから遺伝子検査(NATと言います)を、患者さんの負担ゼロでおこなうこともあります。あまり多くの患者さんにこのようなことをおこなうと医療機関の赤字が膨らみますから限度はありますが、我々医師は感染の蔓延を防ぐために早期発見に努めたいのです。(特に感染初期は他人に感染させるリスクが高いのです)

 このように医師からみてHIV感染の疑いがあると感じたときは、医療機関の赤字になったとしても検査をおこなうことがあり、実際こういったケースでHIV感染がしばしば見つかります。(私が院長をつとめる太融寺町谷口医院では、2010年にHIV感染が判明した症例の半分以上が、「患者さんはHIVを疑っておらずこちらから検査をすすめたケース」です)

 ですから、厚生労働省がHIVの早期発見に努めたい、と本気で考えるなら、医療機関でのHIV検査を保険診療で認めればいいのです。そんなことを認めてしまえば医療費がかさむではないか、という人がいますが、そんなことはありません。保健所でおこなっている検査は全額が行政負担、医療機関での保険診療ならば3割は患者さん負担ですから、医療機関での検査の方が公費負担は少なくてすみます。

 さらに、医師が患者さんに保健所に行くことを促し同意を得るのに相当な時間と手間がかかりますから、医療機関で検査ができるようになれば医師の人件費の節約につながります。また、患者さんが実際に保健所に行ってくれる保証がないことを考えると、医療機関にて保険診療で検査をする方が賢明なのは明らかです。(正確に言うと、保健所で発生する費用と医療保険で必要となる費用は出所が異なりますが、どちらも広い意味での「公的なお金」であることには変わりません)

 もうひとつ、HIV検査を普及させるために不可欠なことがあります。それは、社会にはびこるHIVへの偏見を取り除くということです。この偏見のために患者さんの何割かは検査を受けることを躊躇します。実際、HIV感染の可能性があると考えた患者さんに検査をすすめても、「検査を受ける決心がつきません」と言って検査を断る人も珍しくはありません。2007~2008年にかけて、HIVの検査を受けよう、というキャンペーンが多数おこなわれましたが、これは検査を促すものであり、HIVの誤解・偏見を取り除くことを目的とはしていませんでした。

 40歳を超えたし一度人間ドックを受けてみるか、という感覚で、過去に危険な性交渉がないわけじゃないし一度HIV検査を受けてみようか、と考えられるようになるには、社会の偏見を取り除かなければなりません。

 もしも厚生労働省が中心となり、①医療機関で保険診療でのHIV検査を認め、②誤解・偏見を取り除くような啓発をおこなう、この2つが行われればHIVの早期発見は飛躍的に増えることを私は確信しています。


注:詳しい数字は、(医)太融寺町谷口医院ウェブサイトで紹介しています。
(医療ニュース2011年2月14日 「新規エイズ患者がまたもや過去最多」 )