GINAと共に

第47回 タイの政治動乱の行方(2010年5月)

 私自身は特にタイの政治に詳しいわけではないのですが、これだけデモが過激化し、多数の死傷者がでることになりましたから、「タイは大丈夫なの?」という質問を受ける機会が増えてきました。

 デモはバンコクだけでなく、北タイやイサーン地方(東北地方)にも波及しており、GINAが支援しているいくつかの施設がある県でも過激な衝突がおこっています。しかし、GINAが支援しているHIV関連の施設には、今のところ被害は出ていません。(しかし、バンコクでデモの拠点になっていたラートプラソン交差点近くのパトゥムワラナム寺院内で、5月19日に死亡が確認されたタイ人のなかには3人の医療ボランティアが含まれていたという報道もあり、そういう意味では、今後施設や寺院の中にいても、政治的に活動していないボランティアに危険が及ぶ可能性があるかもしれません)

 デモ隊(UDD、赤シャツ)と政府の機動隊の衝突はエスカレートし、約90人の死者、2,000人近くの負傷者をだし、地下鉄やBTS(高架鉄道)も運行休止となりました。5月19日には、政府は非常事態宣言を発令し、ついにデモ隊の強制排除を施行しました。デモ隊(UDD)の幹部は投降し、デモ自体は一気に沈静化しましたが、デモ終息後も、夜間外出禁止令は引き続き継続しています。日本企業もオフィスを市街地から離れたところにうつしたり、社員に自宅待機を命じたり、社員の家族は帰国させたり、といった対策を講じています。

 5月24日の時点では、治安は徐々に改善しているようですが、夜間外出禁止令は、時間は短縮されたものの(24日より午後11時から午前4時まで)、依然これまでの活気のある歓楽街としてのバンコクの夜には戻っていないようです。

 日本人街として知られるタニヤは、今回デモの拠点となった場所から比較的近いところにあり、普段は銀座や北新地と変わらないような賑やかさをみせていますが、現在は空いている店はほとんどなくひっそりとしているそうです。タニヤの日本料理屋で夫婦で働く私の知人のタイ人に連絡をとってみたのですが、「いつ店が再開するかの目処がたたない、ヒマだ、ヒマだ・・・」と言っていました。

 UDD(赤シャツ)のみならず、2008年12月にスワンナプーム空港を占拠したPAD(黄シャツ)について、そしてタクシン元首相のことについては、以前も述べましたので(下記参照)、ここでは詳しくは繰り返しませんが、その後の動きについて簡単にまとめておきたいと思います。

 まずタクシン元首相は、2006年9月19日の軍事クーデターにより失脚します。タイ軍部のなかにはタクシン派、反タクシン派の双方がいますが、主流は反タクシン派だと言われています。その後タイの首相は、スラユット、サマック、ソムチャイと続きますが、彼らはいずれもタクシン派です。

 このあたりを理解するのは少しむつかしいかもしれません。タクシンが軍にクーデターを起こされたのは、政治的理念が相容れなかったというよりも、タクシン個人の株式売買を巡っての不正や、過去の汚職に対する反発が強かったからということと、タクシンが国民の大半に支持されているのは明らかであり、民主党など反タクシン派の政党が小さかったため、反タクシン派の首相を新しい首相にすることは現実的ではなかったからではないかと私は考えています。

 さて、首相が次々と代わってもタクシン時代と何ら変わらない政策を続けていたタイ政府に不満を募らせていたPAD(黄シャツ)は、2008年12月、ついに空港占拠という暴挙にでます。そして、この行動が結果としてPADの勝利となり、当時の首相ソムチャイは失脚し、民主党のアピシットが新たな首相となりました。

 このあたりが日本人や西洋人には理解しがたいところです。タクシンが不正や汚職をはたらいたことは司法の判決に従うべきではありますが、軍によるクーデターでのタクシンの失脚や、民間の政治団体であるPAD(黄シャツ)の空港占拠でソムチャイが失脚し、新たな首相が任命される、などということは民主主義ではあり得ないこと(あってはならないこと)ではなかったでしょうか。

 そもそも反タクシン派は選挙でタクシン派に勝っていないのです。2007年12月の下院選挙ではタクシン派が勝利をおさめています。なぜ、選挙で勝っていない反タクシン派が政権をとっているのかというと、それは軍の主流派、経済界の主流派、そして王族が反タクシンだからです。政権というのは民意を反映すべきであり、それが民主主義なのですが、そういう意味では、タイには本当の民主主義がないと言われても仕方がないかもしれません。

 さて、多数の死傷者をだした今回のデモを通して、私がひとつ興味深く感じていることがあります。それは、過激な行動にでたUDD(赤シャツ)に対し、外国人からは非難の声が多く、これは当然なのですが、その一方で賛同する声も少しずつ増えているということです。

 私はこれまで日本人を含む外国人から、タクシンを支持するという声をほとんど聞いたことがありません。私が初めてタイを訪れたのは2002年ですが、この頃はタクシンの政策によってタイが変わりつつありました。(タクシンは2001年に政権についています)

 私は海外に行くとどこの国の人ともよく話すのですが、なぜか「不良外国人」からよく声をかけられます。「不良外国人」というのは、タイにとって来てもらいたくない外国人(西洋人)、率直に言えば、仕事をするわけでもなくブラブラとし、そのうち薬物や買春に手を出すような外国人です。2002年当時、不良外国人たちはやたらとタクシンの悪口を言っていました。違法DVD(特にポルノ)が手に入らなくなった、売春施設がつぶされた、違法薬物の値段が高騰した・・・。どう考えてもタイにとってはいいことなのですが・・・。

 一方、その後タイのエイズ事情を目の当たりにし、GINAを設立するに至った私はボランティアに来ている西洋人の知人が増えていきました。便宜上彼(女)らを「奉仕系外国人」とすると、奉仕系外国人もまたほとんどすべての人が反タクシンなのです。タクシンは「30バーツ医療」という、誰もが医療を受けることのできる政策をとったことで貧困層の医療機関へのアクセスは格段によくなったわけで、奉仕系外国人もそのあたりは評価しているのですが、やはり「不正や汚職は許せない」という西洋の公正感が反タクシン派となるのでしょう。

 また、不良系でも奉仕系でもない、ビジネスや留学でタイに来ている日本人のほとんどの人も反タクシンであったように思います。これは、タクシンが日本嫌いであることと無関係でないでしょう。タクシン政権となってから日本企業は他の国の企業と比べて不利になったと何人かのビジネスマンから聞いたことがあります。また、これは噂ですが、ある会議でタクシンが自ら「私は日本が嫌いです」とコメントしたとも言われています。

 今回の一連のデモの期間、私自身はタイには渡航していませんが、電話やメールでタイ人や西洋人から集めた情報によりますと、外国人の間にUDD(赤シャツ)を支持する声が少しずつではありますが確実に増えてきています。タクシン派となるにはいろんな経緯があるようですが、典型的パターンにこういうケースがあるそうです。

 まず、イサーン人(女性)を恋人に持つ西洋人(男性)が恋人と共にデモに加わり(バンコクに出稼ぎにきているイサーン人の大半はタクシン派です)、初めは面白半分でデモに加わっただけで、デモの意味が分からなかったけれど、恋人があまりにも熱心なので関心を持つようになり、そしてタクシンのおかげで恋人の故郷が貧困から抜け出せたことや、現在のアピシット首相が選ばれたのは民主主義的でないことなどに気づき、選挙をやり直すべきだという考えに至る・・・。

 アピシット首相は5月3日に下院解散総選挙を実施することを、UDD(赤シャツ)に約束したのにもかかわらず、5月12日にはこれを撤回しています。北タイとイサーン地方では圧倒的にタクシン派が優勢なのですが、これら2つの地域を合わせるとタイ人の過半数を超えます。もしも解散総選挙がおこなわれるとすると、前回と同様、タクシン派の勝利となる見込みが大きいと言えるでしょう。

 私個人の意見としては、デモがこれほどまで大きくなり、多数の死傷者を出している現状を考えると、やはり解散総選挙をすべきなのではないか感じています。あるいは、後に「暗黒の5月事件」と呼ばれるようになった、1992年5月に300名以上の死者が出た事件が幕を下ろしたときのようにプミポン国王の登場を待つべきなのでしょうか・・・。

参考:GINAと共に第31回「バンコク人対イサーン人」