GINAと共に
第39回 ひとりのHIV陽性者を支援するということ(2009年9月)
今月(2009年9月)初旬のある日、このウェブサイトでは何度も紹介しているタイ国パヤオ県でエイズ患者及び孤児の支援をしている谷口巳三郎先生(以下、巳三郎先生)から1通の手紙が届きました。
便箋2枚に渡りびっしりと書かれたその手紙の内容は、最近HIV陽性であることが発覚したひとりの女性を救ってほしいというものでした。
その女性はタイとミャンマーの国境付近で集落をつくっている少数民族(高地民族)のひとつであるアカ族の40代の女性です。縁あって巳三郎先生の知り合いの元で働いていたこともあったそうです。
前夫との間にできた男の子は小学4年生、1年ほど前に新しい夫ができてその夫は現在台湾に出稼ぎに出ているそうです。この女性は数ヶ月前から体調がすぐれないため病院を受診したところ、HIV陽性であることが判明しました。この女性がHIVに感染したのは、この新しい夫からなのか、前夫からなのかは分からないといいます。けれども、今は誰から感染したかということは問題ではありません。
この女性はHIV陽性であるということよりも体調が芳しくないことから仕事を失い、絶望のどん底にいると言います。台湾に出稼ぎに行った新しい夫は、帰ってこないばかりか連絡もとれないそうです。
自分ひとりなら迷わず死を選ぶ、しかし小学4年生の男の子を置き去りにはできない、けれどもこの子を預けるあてもない・・・。ひとりの女性の失望の様子が、巳三郎先生の手紙から伝わってきます。
タイの医療情勢に詳しい人ならこのように思うかもしれません。すなわち、タイは低所得者に対しては無料医療制度(昔は「30バーツ医療」)があるじゃないか、仕事はできないかもしれないけれどまずは治療に専念すればいいのでは、と。
しかし、無料で抗HIV薬が支給されるのは「タイ人」だけです。この女性のように少数民族の人には無料で支給されるわけではありません。HIVに関わらずタイの医療機関で少数民族が治療を受けるには、保険制度というものはなく全額自己負担となります。
我々GINAのスタッフは、巳三郎先生からのこの手紙を受け取ったとき、支援すべきかどうかを悩みました。
私財をなげうって1983年からタイの貧困を救うために人生を費やしている巳三郎先生からの依頼を断ることは簡単にはできません。谷口巳三郎先生は、農業支援など幅広い活動をされていて、現在では日本政府からもタイ政府からも一切の援助がないなかで、活動資金の大半が寄附金によるものです。けれども、26年間の支援活動のなかで、谷口巳三郎先生は、一度たりとも特定の個人に寄附のお願いをしたことがありません。その先生が、GINAの代表である私に、特別の依頼をされているのです。この依頼を断れるでしょうか・・・。
しかしながら、たったひとりのHIV陽性者を支援するということを、公的機関であるべきNPOがしてもいいものか・・・。しかも、この女性は現在住むところもない状況であり、いくら簡素にしたとしても新しく住居をつくり、今後の生活費及び医療費を捻出しなければなりませんから、少なくないお金が必要になります。
この女性のように少数民族であるがゆえに医療を受けられないという人はいくらでもいます。また、小学生の子供を養わなければならないけれども体力が低下していて働けないという人もいくらでもいます。
この女性のための支援、それも少なくない額の支援をおこなってしまえば、他の似たような境遇の人に対してGINAはどういうスタンスをとるべきなのか、という問題が出てきます。
我々が悩んだ結果・・・、結局この女性を支援することにしました。
しかし、私は今月タイに渡航しましたが、日頃から集めた寄附金はWat Phrabhatnamphu(パバナプ寺)を中心に施設に寄附することがすでに決まっていました。少数民族や北タイのエイズ患者・孤児に対しては奨学金などを含めて定期的に金銭的な支援をしていますが、追加の支援をする余裕はありません。
そこで、緊急支援を知人にお願いしたり、GINAのウェブサイトで広く閲覧者に訴えかけるなどをしたりして多くの方に支援を依頼しました。その結果、なんとか必要な金額を集めることができました。(緊急支援してくださった皆様には深くお礼申し上げます)
私がタイのエイズ問題に関わりだしたのは2002年ですが、その頃は国全体に差別やスティグマがはびこっていました。まだ抗HIV薬が支給されていなかったその頃は、HIV陽性者は、地域社会からも家族からも、そして医療機関からも拒絶されていたのです。
その後私は年に何度かタイを訪問するようにして、多くのHIV陽性者・エイズ発症者、またボランティアを含めた支援者と関わるようになりましたが、訪タイする度に、差別やスティグマがなくなってきていることを実感しています。(といってもまだまだ根強い偏見がありますが・・・)
以前に比べると、タイのHIV陽性者が社会である程度受け入れられるようになってきていますし、タイのエイズ患者を支援する団体や個人は減少してきているように見受けられます。おそらく世界規模で活動している支援団体は、タイよりも事態が深刻である他のアジア諸国やアフリカに支援の矛先を転換しているのでしょう。
しかし、GINAはそのような大きな団体とはミッションが異なります。GINAのミッション・ステイトメントには「草の根レベルで支援」という言葉があります。
最終的に、このアカ族のHIV陽性の女性を支援することを決断したのは、「今この女性を救えるのはGINAしかない」と判断したからです。この次同じような境遇のHIV陽性者が現れたときにどうするんだ、という問題が残りますが、今支援を躊躇すればこの女性と小学生の子供が生きる術を絶たれることが明らかな状況を無視することができなかったのです。
見方によっては不公平感が払拭できないこのような支援をした以上はGINAにも責任があります。GINAとしては、これからこの女性がどのように貧困やHIVを克服し、男の子が成長していくかを見守っていきたいと考えています。そして、その内容はこのウェブサイトを通して広く社会に訴えていきたいと考えています。
便箋2枚に渡りびっしりと書かれたその手紙の内容は、最近HIV陽性であることが発覚したひとりの女性を救ってほしいというものでした。
その女性はタイとミャンマーの国境付近で集落をつくっている少数民族(高地民族)のひとつであるアカ族の40代の女性です。縁あって巳三郎先生の知り合いの元で働いていたこともあったそうです。
前夫との間にできた男の子は小学4年生、1年ほど前に新しい夫ができてその夫は現在台湾に出稼ぎに出ているそうです。この女性は数ヶ月前から体調がすぐれないため病院を受診したところ、HIV陽性であることが判明しました。この女性がHIVに感染したのは、この新しい夫からなのか、前夫からなのかは分からないといいます。けれども、今は誰から感染したかということは問題ではありません。
この女性はHIV陽性であるということよりも体調が芳しくないことから仕事を失い、絶望のどん底にいると言います。台湾に出稼ぎに行った新しい夫は、帰ってこないばかりか連絡もとれないそうです。
自分ひとりなら迷わず死を選ぶ、しかし小学4年生の男の子を置き去りにはできない、けれどもこの子を預けるあてもない・・・。ひとりの女性の失望の様子が、巳三郎先生の手紙から伝わってきます。
タイの医療情勢に詳しい人ならこのように思うかもしれません。すなわち、タイは低所得者に対しては無料医療制度(昔は「30バーツ医療」)があるじゃないか、仕事はできないかもしれないけれどまずは治療に専念すればいいのでは、と。
しかし、無料で抗HIV薬が支給されるのは「タイ人」だけです。この女性のように少数民族の人には無料で支給されるわけではありません。HIVに関わらずタイの医療機関で少数民族が治療を受けるには、保険制度というものはなく全額自己負担となります。
我々GINAのスタッフは、巳三郎先生からのこの手紙を受け取ったとき、支援すべきかどうかを悩みました。
私財をなげうって1983年からタイの貧困を救うために人生を費やしている巳三郎先生からの依頼を断ることは簡単にはできません。谷口巳三郎先生は、農業支援など幅広い活動をされていて、現在では日本政府からもタイ政府からも一切の援助がないなかで、活動資金の大半が寄附金によるものです。けれども、26年間の支援活動のなかで、谷口巳三郎先生は、一度たりとも特定の個人に寄附のお願いをしたことがありません。その先生が、GINAの代表である私に、特別の依頼をされているのです。この依頼を断れるでしょうか・・・。
しかしながら、たったひとりのHIV陽性者を支援するということを、公的機関であるべきNPOがしてもいいものか・・・。しかも、この女性は現在住むところもない状況であり、いくら簡素にしたとしても新しく住居をつくり、今後の生活費及び医療費を捻出しなければなりませんから、少なくないお金が必要になります。
この女性のように少数民族であるがゆえに医療を受けられないという人はいくらでもいます。また、小学生の子供を養わなければならないけれども体力が低下していて働けないという人もいくらでもいます。
この女性のための支援、それも少なくない額の支援をおこなってしまえば、他の似たような境遇の人に対してGINAはどういうスタンスをとるべきなのか、という問題が出てきます。
我々が悩んだ結果・・・、結局この女性を支援することにしました。
しかし、私は今月タイに渡航しましたが、日頃から集めた寄附金はWat Phrabhatnamphu(パバナプ寺)を中心に施設に寄附することがすでに決まっていました。少数民族や北タイのエイズ患者・孤児に対しては奨学金などを含めて定期的に金銭的な支援をしていますが、追加の支援をする余裕はありません。
そこで、緊急支援を知人にお願いしたり、GINAのウェブサイトで広く閲覧者に訴えかけるなどをしたりして多くの方に支援を依頼しました。その結果、なんとか必要な金額を集めることができました。(緊急支援してくださった皆様には深くお礼申し上げます)
私がタイのエイズ問題に関わりだしたのは2002年ですが、その頃は国全体に差別やスティグマがはびこっていました。まだ抗HIV薬が支給されていなかったその頃は、HIV陽性者は、地域社会からも家族からも、そして医療機関からも拒絶されていたのです。
その後私は年に何度かタイを訪問するようにして、多くのHIV陽性者・エイズ発症者、またボランティアを含めた支援者と関わるようになりましたが、訪タイする度に、差別やスティグマがなくなってきていることを実感しています。(といってもまだまだ根強い偏見がありますが・・・)
以前に比べると、タイのHIV陽性者が社会である程度受け入れられるようになってきていますし、タイのエイズ患者を支援する団体や個人は減少してきているように見受けられます。おそらく世界規模で活動している支援団体は、タイよりも事態が深刻である他のアジア諸国やアフリカに支援の矛先を転換しているのでしょう。
しかし、GINAはそのような大きな団体とはミッションが異なります。GINAのミッション・ステイトメントには「草の根レベルで支援」という言葉があります。
最終的に、このアカ族のHIV陽性の女性を支援することを決断したのは、「今この女性を救えるのはGINAしかない」と判断したからです。この次同じような境遇のHIV陽性者が現れたときにどうするんだ、という問題が残りますが、今支援を躊躇すればこの女性と小学生の子供が生きる術を絶たれることが明らかな状況を無視することができなかったのです。
見方によっては不公平感が払拭できないこのような支援をした以上はGINAにも責任があります。GINAとしては、これからこの女性がどのように貧困やHIVを克服し、男の子が成長していくかを見守っていきたいと考えています。そして、その内容はこのウェブサイトを通して広く社会に訴えていきたいと考えています。