GINAと共に
第38回 なぜカウンセリングが重要なのか(2009年8月)
VCTという言葉をご存知でしょうか。VCTとは、voluntary counseling and testing (programs)の略で、直訳すると「自発的な検査とカウンセリング」となるかと思います。
要するに、「HIVの検査は強制されるものであってはならず、被検者主体(client-initiated)でなくてはならない、そして、検査の前後には充分なカウンセリングが必要である」、といったものです。
当たり前じゃないの?、と感じる人もおられるでしょうから少し説明を加えておきます。まず、HIVは、以前はかなり社会的偏見やスティグマに満ちた感染症でした。もちろん、今でもそういった偏見などは残っていますが、90年代の半ばには現在の比ではないほどでした。
例えば、タイでは多くの外資系工場でタイ人の労働者全員にHIV検査を強制していたことがありました。「外資系」にはもちろん日系の企業も含まれています。当時のタイでは、中学を卒業していない人も多く、一応1991年には法的には中学も義務教育となってはいましたが、実際には中学を卒業しないで工場などで働いている未成年も大勢いたというわけです。未成年を含む工場労働者に対し、雇用者側は、強制的に、性交渉の経験のない未成年も含めて、HIVの検査をおこなっていたのです。
通常、HIVを含めて感染症の検査というのは、医療機関でおこなうときは必ず患者さんの同意を得てからおこないます。(意識がないときなどは例外的に同意なしでおこなうこともあります) 感染症の検査をしてもいいかどうかを患者さんに尋ねて、そこで患者さんが「拒否します」と言えば、医師はその感染症を疑っても検査をすることは原則としてできません。(検査の必要性を再度訴えることはありますが)
話を戻しましょう。工場などで強制的にHIVの検査がおこなわれ、そこで陽性反応が出たとすれば、問答無用で解雇されるというケースがあったのです。
もちろん、このようなことは許されるはずがありません。そこで、WHOを含む公的保健機関や保健関連のNPO・NGOは、検査は「自発的(voluntary)なものでなければならない」としたのです。
そこで、自発的に検査を受けてもらうために、公的機関・民間機関、あるいは個人の活動家たちも、HIVの検査を受けるように呼びかけるようになりました。こういった運動が功を奏し、それまでHIVを他人事と考えていたような人たちも関心を持つようになり、検査を受ける人が次第に増えるようになりました。国や地域によっては、HIVの検査がかなり普及したといってもいいでしょう。
しかしながら、世界に目を向けると、"自発的な"検査だけでは、受検率がそれほど伸びていない国や地域もあります。まだまだHIVに関心が向いていない地域も少なくないというわけです。
そこで、2007年にWHOとUNAIDS(国際連合エイズ合同計画)は、VCTに代る概念としてPITC(provider-initiated HIV testing and counseling)を提唱しました。PITCは、被検者の自主性のみに頼るのではなく、ある程度は検査の供給者(医療機関や保健所など)が積極的にHIVの検査の必要性を訴えていこう、とするものです。もちろん、強制的なものになってはなりませんが、「なぜ今その人にとってHIVの検査が必要なのか」を理解してもらおうとする試みです。
さて、VCT、PITCのいずれにおいても、「C」すなわちカウンセリングが大変重要とされていることには変わりありません。
HIVという感染症は、まだまだ正しい知識が社会一般に浸透していないこと、誤解や偏見に満ちており感染者が差別的な扱いを受けることが実際にあること、検査の仕組みや結果が出るまでにすべきこと、などの説明をしなければなりません。
また、被検者が考えていること、感じていること、悩んでいること、などはその人によって異なりますから、まずはそういった話をカウンセラーが充分に聞く必要があります。この時点で、被検者が正しい知識を持ち合わせていなかったり、不必要な心配をしていたり、HIVよりも優先して調べなければならない検査があることに気づいていなかったり、ということはしばしばあります。
HIVの検査を受けて陽性であった場合は、もちろんカウンセリングが大変重要になってきますが、HIV陰性であったとしてもカウンセリングはかかせません。その理由はいろいろありますが、検査を受けて陰性と判ってから出てくる質問が多数あるというのもひとつです。分からないこと、気になることは、検査を受ける前に聞いておくべきかもしれませんが、実際には、結果を知った後で出てくる質問も被検者によってはたくさんあります。これは、検査前には不安が強くて、広い視点から物事が見えなくなっているせいかもしれません。
我々検査をおこなう側からすれば、HIVに関する正しい知識を持ってもらって、同じような不安に陥らず、そしてできればもう同じような検査を受けなくてもいいようにしてもらうのがありがたいのですが、人間はそれほど理論的・理性的に行動できるわけではありませんから、実際には何度も医療機関や検査会場に足を運ぶ人もいます。
HIVの検査を受けに来られる人で、私が多いな、と感じているのは、HIVで頭がいっぱいになって、HIVよりも感染しやすく検査が必要と思われる感染症が重要視されていないことです。これについては、何度も紹介していますので(例えば下記コラム参照)、ここでは詳しくは述べませんが、HIVの検査を受けるすべての人に再確認してもらいたいと思います。
しかし、必ず検査の前後にカウンセリングという方法をとるべき最大の理由は、やはり精神的なケアが必要となる場合が少なくないからです。ときに、不安は加速度的に進行し、日常生活に影響を与えることすらあります。また、検査で陰性という結果がでたとしても、いったん強くなった不安は、「本当に検査結果は正しいのかな」「検査の過程で誰か他人のものと入れ替わったんじゃないかな」などと考え出す人もいます。
最近は、インターネットなどを通して自分の血液を業者に送付して結果をネット上で知ることができる検査方法がありますが、この検査方法がやっかいなのは、かえって被検者の不安を煽ることが少なくないからです。「インターネットで検査をしたが結果は本当に信頼できるのか」、このようなことを言って、私の元(太融寺町谷口医院)を受診する人は後を絶たない、というか、益々増えてきています。これでは検査した意味がありませんし、当初は手軽に検査ができると考えたのでしょうが、費用も時間もかえって高くつくことになります。
例えば、インフルエンザなどでこのようなサービスがあれば大変便利だとは思いますが、誤解や偏見、スティグマなどがまだまだ少なくないHIVの検査をおこなうには、WHOをはじめとする公的医療機関やNPO・NGOなどが提唱するように、検査前後のカウンセリングが不可欠だというわけです。
参照:
GINAと共に 第36回(2009年6月)「HIVを特別視することによる弊害 その1」
要するに、「HIVの検査は強制されるものであってはならず、被検者主体(client-initiated)でなくてはならない、そして、検査の前後には充分なカウンセリングが必要である」、といったものです。
当たり前じゃないの?、と感じる人もおられるでしょうから少し説明を加えておきます。まず、HIVは、以前はかなり社会的偏見やスティグマに満ちた感染症でした。もちろん、今でもそういった偏見などは残っていますが、90年代の半ばには現在の比ではないほどでした。
例えば、タイでは多くの外資系工場でタイ人の労働者全員にHIV検査を強制していたことがありました。「外資系」にはもちろん日系の企業も含まれています。当時のタイでは、中学を卒業していない人も多く、一応1991年には法的には中学も義務教育となってはいましたが、実際には中学を卒業しないで工場などで働いている未成年も大勢いたというわけです。未成年を含む工場労働者に対し、雇用者側は、強制的に、性交渉の経験のない未成年も含めて、HIVの検査をおこなっていたのです。
通常、HIVを含めて感染症の検査というのは、医療機関でおこなうときは必ず患者さんの同意を得てからおこないます。(意識がないときなどは例外的に同意なしでおこなうこともあります) 感染症の検査をしてもいいかどうかを患者さんに尋ねて、そこで患者さんが「拒否します」と言えば、医師はその感染症を疑っても検査をすることは原則としてできません。(検査の必要性を再度訴えることはありますが)
話を戻しましょう。工場などで強制的にHIVの検査がおこなわれ、そこで陽性反応が出たとすれば、問答無用で解雇されるというケースがあったのです。
もちろん、このようなことは許されるはずがありません。そこで、WHOを含む公的保健機関や保健関連のNPO・NGOは、検査は「自発的(voluntary)なものでなければならない」としたのです。
そこで、自発的に検査を受けてもらうために、公的機関・民間機関、あるいは個人の活動家たちも、HIVの検査を受けるように呼びかけるようになりました。こういった運動が功を奏し、それまでHIVを他人事と考えていたような人たちも関心を持つようになり、検査を受ける人が次第に増えるようになりました。国や地域によっては、HIVの検査がかなり普及したといってもいいでしょう。
しかしながら、世界に目を向けると、"自発的な"検査だけでは、受検率がそれほど伸びていない国や地域もあります。まだまだHIVに関心が向いていない地域も少なくないというわけです。
そこで、2007年にWHOとUNAIDS(国際連合エイズ合同計画)は、VCTに代る概念としてPITC(provider-initiated HIV testing and counseling)を提唱しました。PITCは、被検者の自主性のみに頼るのではなく、ある程度は検査の供給者(医療機関や保健所など)が積極的にHIVの検査の必要性を訴えていこう、とするものです。もちろん、強制的なものになってはなりませんが、「なぜ今その人にとってHIVの検査が必要なのか」を理解してもらおうとする試みです。
さて、VCT、PITCのいずれにおいても、「C」すなわちカウンセリングが大変重要とされていることには変わりありません。
HIVという感染症は、まだまだ正しい知識が社会一般に浸透していないこと、誤解や偏見に満ちており感染者が差別的な扱いを受けることが実際にあること、検査の仕組みや結果が出るまでにすべきこと、などの説明をしなければなりません。
また、被検者が考えていること、感じていること、悩んでいること、などはその人によって異なりますから、まずはそういった話をカウンセラーが充分に聞く必要があります。この時点で、被検者が正しい知識を持ち合わせていなかったり、不必要な心配をしていたり、HIVよりも優先して調べなければならない検査があることに気づいていなかったり、ということはしばしばあります。
HIVの検査を受けて陽性であった場合は、もちろんカウンセリングが大変重要になってきますが、HIV陰性であったとしてもカウンセリングはかかせません。その理由はいろいろありますが、検査を受けて陰性と判ってから出てくる質問が多数あるというのもひとつです。分からないこと、気になることは、検査を受ける前に聞いておくべきかもしれませんが、実際には、結果を知った後で出てくる質問も被検者によってはたくさんあります。これは、検査前には不安が強くて、広い視点から物事が見えなくなっているせいかもしれません。
我々検査をおこなう側からすれば、HIVに関する正しい知識を持ってもらって、同じような不安に陥らず、そしてできればもう同じような検査を受けなくてもいいようにしてもらうのがありがたいのですが、人間はそれほど理論的・理性的に行動できるわけではありませんから、実際には何度も医療機関や検査会場に足を運ぶ人もいます。
HIVの検査を受けに来られる人で、私が多いな、と感じているのは、HIVで頭がいっぱいになって、HIVよりも感染しやすく検査が必要と思われる感染症が重要視されていないことです。これについては、何度も紹介していますので(例えば下記コラム参照)、ここでは詳しくは述べませんが、HIVの検査を受けるすべての人に再確認してもらいたいと思います。
しかし、必ず検査の前後にカウンセリングという方法をとるべき最大の理由は、やはり精神的なケアが必要となる場合が少なくないからです。ときに、不安は加速度的に進行し、日常生活に影響を与えることすらあります。また、検査で陰性という結果がでたとしても、いったん強くなった不安は、「本当に検査結果は正しいのかな」「検査の過程で誰か他人のものと入れ替わったんじゃないかな」などと考え出す人もいます。
最近は、インターネットなどを通して自分の血液を業者に送付して結果をネット上で知ることができる検査方法がありますが、この検査方法がやっかいなのは、かえって被検者の不安を煽ることが少なくないからです。「インターネットで検査をしたが結果は本当に信頼できるのか」、このようなことを言って、私の元(太融寺町谷口医院)を受診する人は後を絶たない、というか、益々増えてきています。これでは検査した意味がありませんし、当初は手軽に検査ができると考えたのでしょうが、費用も時間もかえって高くつくことになります。
例えば、インフルエンザなどでこのようなサービスがあれば大変便利だとは思いますが、誤解や偏見、スティグマなどがまだまだ少なくないHIVの検査をおこなうには、WHOをはじめとする公的医療機関やNPO・NGOなどが提唱するように、検査前後のカウンセリングが不可欠だというわけです。
参照:
GINAと共に 第36回(2009年6月)「HIVを特別視することによる弊害 その1」