GINAと共に
第37回 HIVを特別視することによる弊害 その2 (2009年7月)
HIVを特別視しすぎるとどのような弊害があるか・・・
1つには前回お話したように、HIVよりも感染力が強く予防をしていなければならない他の性感染症がないがしろにされてしまうという問題です。
もうひとつは、HIVを特別視しすぎるあまり、感染者に対する差別や偏見が生まれるという弊害です。
HIV感染者に対する偏見が存在し、この日本でそれが顕著なのは大きな問題です。
私は、以前タイのHIV陽性者がいわれのない差別を受けて、地域社会から、家族から、そして病院からさえも見捨てられている現状を目の当たりにし、それがGINA設立のきっかけとなりました。
しかし、あれから数年たった今では、タイのHIV陽性者に対する差別意識は、もちろん完全になくなってはいませんが、かなり減ってきています。まだまだ感染の事実をカムアウトしやすい社会ではありませんが、それでも、「(性交渉以外の)日常生活では他人に感染させることはない」「適切な治療を受ければ死に至る病ではない」といったことが社会に認識されるようになり、以前のように、誰にも相談できずに死を迎えるしかないといった事態は今ではほとんどありません。
欧米ではHIVに感染した有名人がカムアウトしてそれがマスコミに取り上げられたり、またそういった有名人がHIV予防のための活動をしたり、といったことがよくあります。しかし、私の知る限り日本人の有名人がHIV陽性であることをカムアウトした、という話は聞いたことがありません。
また、家族や職場に感染の事実を隠しながら生きているHIV陽性の人は少なくありません。というより、家族にも職場にも感染の事実を伝えている人はごく稀です。
私が診療の現場でHIV陽性の人に聞かれることに次のようなものがあります。
「ひとりで隠しておくのがしんどくなってきました。会社に感染のことを言おうと思っているのですが先生はどう思いますか」
HIV感染は何も恥ずかしいことではありませんし、(性交渉以外の日常生活では)他人に感染させることもありません。ですから、私は次のように答えています。
「そうですね。HIV感染はなにも隠すべきものでもありませんしね。堂々と感染していると言えばいいと思いますよ・・・」
嘘です。
本当はこう言いたい気持ちがあるのですが、現在の日本社会ではHIV感染の事実が周知されると不利益を被る可能性が非常に高いのです。HIVに感染していることが会社に知られて仕事がしづらくなった、退職せざるを得なかった、という事実はいくらでもあるのが現状なのです。
ですから、実際には次のように答えることがよくあります。
「お気持ちは分かりますが、職場に報告するのは賢明でない場合の方が今の日本では多いのが現実です。いったん報告すればそれを撤回することはできません。私が助言するような問題ではないかもしれませんが、もう少し日本のHIVに対する偏見が軽減されるまで待つべきではないでしょうか」
HIVが差別の対象となるような感染症でないことを訴えるというのはGINAのミッション・ステイトメントにもあるとおりです。HIV陽性の人と陰性の人が何の偏見もなく共存し合う、そういう社会があるべき姿であるはずです。
HIV陽性の人が職場に感染のことを話す必要があると感じるのには理由があります。ひとつには、病状の程度にもよりますが、抗HIVを内服している人であれば定期的にエイズ拠点病院を受診しなければならないことがあります。この場合、会社を休んで受診しなければならない日もありますから、その理由をつくるのに苦労するのです。
さらに、HIVに感染していると、まだ抗HIV薬を内服しなくてもいい段階でも、発熱や倦怠感といった症状が出現することがあります。そんなとき、HIV感染の事実を会社に伝えていないと、「体力のないやつだな」といった印象を与えることになるかもしれません。また、抗HIV薬を内服している人であれば、薬の副作用に苦労することもあり得ますし、例えば宴会や慰安旅行の際にこっそりと隠れて薬を飲まなければならない、といったこともあるでしょう。
HIV以外の病気、例えば1年前に胃ガンを患い胃の摘出術を受けた人がいたとしましょう。一般にガンというのは再発の可能性がありますし、そもそも胃を切除しているわけですから、そうでない人に比べて体力が弱いことが考えられます。職場にそのような人がいれば、きっと周囲の人はそれなりの接し方をするでしょう。例えば、体調が芳しくないように見えれば気遣いの言葉をかけるでしょうし、早退をすすめることがあるかもしれません。術後の定期健診で会社を休んでも誰も咎めることはないでしょう。
HIVに感染している人も本来は同じはずです。定期受診で会社を休むこともあれば、体調がすぐれずに早退した方がいい場合だって考えられます。それなのに、感染の事実を周囲に伝えられないわけですから、当事者はしんどくても無理をすることになるかもしれませんし、会社を休む理由として毎回嘘をつかなければならないかもしれません。
かつて日本には「らい予防法」という歴史的に恥ずべき法律がありました。ハンセン病を患った人に対し、いわれのない差別を国家自らがおこなっていた非科学的で非人道的な法律です。しかも、この悪法が廃止されたのは1996年になってからです。この国では21世紀を目の前にするまで、国が中心となってハンセン病罹患者を差別し続けてきたのです。
同じことを繰り返してはいけません。HIV陽性者が感染の事実を隠さなければ生きていけないという社会など、いくら国民の所得が上がろうが、教育水準が上がろうが、恥ずべき社会なのです。
HIVという感染症を特別視しすぎれば、HIVは怖い、HIVに感染すると死ぬ、HIVに感染すると二度とセックスできない、HIVに感染すると家族に迷惑をかける、などといった誤った考えが生まれることになります。
そして、このような誤解がHIVに対する差別感や偏見を助長しているのです
1つには前回お話したように、HIVよりも感染力が強く予防をしていなければならない他の性感染症がないがしろにされてしまうという問題です。
もうひとつは、HIVを特別視しすぎるあまり、感染者に対する差別や偏見が生まれるという弊害です。
HIV感染者に対する偏見が存在し、この日本でそれが顕著なのは大きな問題です。
私は、以前タイのHIV陽性者がいわれのない差別を受けて、地域社会から、家族から、そして病院からさえも見捨てられている現状を目の当たりにし、それがGINA設立のきっかけとなりました。
しかし、あれから数年たった今では、タイのHIV陽性者に対する差別意識は、もちろん完全になくなってはいませんが、かなり減ってきています。まだまだ感染の事実をカムアウトしやすい社会ではありませんが、それでも、「(性交渉以外の)日常生活では他人に感染させることはない」「適切な治療を受ければ死に至る病ではない」といったことが社会に認識されるようになり、以前のように、誰にも相談できずに死を迎えるしかないといった事態は今ではほとんどありません。
欧米ではHIVに感染した有名人がカムアウトしてそれがマスコミに取り上げられたり、またそういった有名人がHIV予防のための活動をしたり、といったことがよくあります。しかし、私の知る限り日本人の有名人がHIV陽性であることをカムアウトした、という話は聞いたことがありません。
また、家族や職場に感染の事実を隠しながら生きているHIV陽性の人は少なくありません。というより、家族にも職場にも感染の事実を伝えている人はごく稀です。
私が診療の現場でHIV陽性の人に聞かれることに次のようなものがあります。
「ひとりで隠しておくのがしんどくなってきました。会社に感染のことを言おうと思っているのですが先生はどう思いますか」
HIV感染は何も恥ずかしいことではありませんし、(性交渉以外の日常生活では)他人に感染させることもありません。ですから、私は次のように答えています。
「そうですね。HIV感染はなにも隠すべきものでもありませんしね。堂々と感染していると言えばいいと思いますよ・・・」
嘘です。
本当はこう言いたい気持ちがあるのですが、現在の日本社会ではHIV感染の事実が周知されると不利益を被る可能性が非常に高いのです。HIVに感染していることが会社に知られて仕事がしづらくなった、退職せざるを得なかった、という事実はいくらでもあるのが現状なのです。
ですから、実際には次のように答えることがよくあります。
「お気持ちは分かりますが、職場に報告するのは賢明でない場合の方が今の日本では多いのが現実です。いったん報告すればそれを撤回することはできません。私が助言するような問題ではないかもしれませんが、もう少し日本のHIVに対する偏見が軽減されるまで待つべきではないでしょうか」
HIVが差別の対象となるような感染症でないことを訴えるというのはGINAのミッション・ステイトメントにもあるとおりです。HIV陽性の人と陰性の人が何の偏見もなく共存し合う、そういう社会があるべき姿であるはずです。
HIV陽性の人が職場に感染のことを話す必要があると感じるのには理由があります。ひとつには、病状の程度にもよりますが、抗HIVを内服している人であれば定期的にエイズ拠点病院を受診しなければならないことがあります。この場合、会社を休んで受診しなければならない日もありますから、その理由をつくるのに苦労するのです。
さらに、HIVに感染していると、まだ抗HIV薬を内服しなくてもいい段階でも、発熱や倦怠感といった症状が出現することがあります。そんなとき、HIV感染の事実を会社に伝えていないと、「体力のないやつだな」といった印象を与えることになるかもしれません。また、抗HIV薬を内服している人であれば、薬の副作用に苦労することもあり得ますし、例えば宴会や慰安旅行の際にこっそりと隠れて薬を飲まなければならない、といったこともあるでしょう。
HIV以外の病気、例えば1年前に胃ガンを患い胃の摘出術を受けた人がいたとしましょう。一般にガンというのは再発の可能性がありますし、そもそも胃を切除しているわけですから、そうでない人に比べて体力が弱いことが考えられます。職場にそのような人がいれば、きっと周囲の人はそれなりの接し方をするでしょう。例えば、体調が芳しくないように見えれば気遣いの言葉をかけるでしょうし、早退をすすめることがあるかもしれません。術後の定期健診で会社を休んでも誰も咎めることはないでしょう。
HIVに感染している人も本来は同じはずです。定期受診で会社を休むこともあれば、体調がすぐれずに早退した方がいい場合だって考えられます。それなのに、感染の事実を周囲に伝えられないわけですから、当事者はしんどくても無理をすることになるかもしれませんし、会社を休む理由として毎回嘘をつかなければならないかもしれません。
かつて日本には「らい予防法」という歴史的に恥ずべき法律がありました。ハンセン病を患った人に対し、いわれのない差別を国家自らがおこなっていた非科学的で非人道的な法律です。しかも、この悪法が廃止されたのは1996年になってからです。この国では21世紀を目の前にするまで、国が中心となってハンセン病罹患者を差別し続けてきたのです。
同じことを繰り返してはいけません。HIV陽性者が感染の事実を隠さなければ生きていけないという社会など、いくら国民の所得が上がろうが、教育水準が上がろうが、恥ずべき社会なのです。
HIVという感染症を特別視しすぎれば、HIVは怖い、HIVに感染すると死ぬ、HIVに感染すると二度とセックスできない、HIVに感染すると家族に迷惑をかける、などといった誤った考えが生まれることになります。
そして、このような誤解がHIVに対する差別感や偏見を助長しているのです