GINAと共に
第36回 HIVを特別視することによる弊害 その1 (2009年6月)
2009年6月17日、厚生労働省のエイズ動向委員会は、2008年に新たに報告されたHIV感染者とエイズ発症者の確定値を公表しました。
同省によりますと、HIV感染者は1,126人(2007年は1,082人)、エイズ発症者は431人(2007年は418人)で、ともに過去最多を更新しています。さらに、これらの数字は6年連続で過去最多を更新していることになります。
6年連続過去最多、となると、「気になる人は検査にいきましょう」「HIVはもう稀な感染症ではありません」、などと言われるようになり、行政やNGOなどの団体は、HIVの検査キャンペーンなどをおこない、積極的に検査を促すようになります。
GINAでもこれまで検査の重要性を訴えてきたつもりではありますが、では、HIVの検査を積極的にしていればそれで問題はないのか、と言えば決してそんなことはありません。
このウェブサイトをみてメールで質問される人は少なくありませんが、それらのメールを読んだり、また私は太融寺町谷口医院で毎日のようにHIVに関する相談を患者さんから直接受けますが、患者さんの悩みを聞いたりしていると、HIVはまだまだ誤解されているんだな、と感じることがよくあります。
今回は私が日々感じている憂うべきHIVに関する誤解についてお話したいと思います。
なぜHIVが誤解されているのか。この答えは、HIVを特別視しすぎることにあるのではないか、と私は感じています。
HIVは特別な感染症で絶対にかかってはいけない。だから少しでも可能性があるなら検査しないといけない。体液が付着していたかもしれないシーツに触れてしまった・・・、落ちているハンカチに血がついていたような気がする・・・、蚊にさされたけどこの蚊が自分の前にHIV陽性者に吸血していたら・・・。
こういった理論的に感染しうるはずのないことでも不安から逃れられない人がいます。理論的に感染の可能性を否定できないケースで、実際の医療現場で患者さんから最もよく聞くのは次のようなことです。
先日、(交際相手以外の人と)性交渉を持ってしまった。コンドームはしていたけど、相手の体液が自分に触れたような気がする。HIVが心配になってきた・・・。
この場合、リスクはゼロではないかもしれません。まず、日本人というのは、コンドームはしているといっても、よく聞くと、フェラチオ(fellatio)の際にはコンドームを使用しなかったという人が非常に多いという特徴があります。(これはGINAがおこなったタイのsex workerに関する調査であきらかとなりました)
また、クンニリングス(cunnilingus)の際に用いるデンタルダム(女性器に覆うカバーのようなもの)は日本ではほとんど売れないそうです。ということは、日本人はオーラルセックスについてはかなり無頓着ということになります。
HIVはオーラルセックスで感染する可能性はそれほど高くありませんが、ないわけではありません。タイでは以前から、オーラルセックスの危険性が繰り返し強調されていますし、日本での症例については拙書『今そこにあるタイのエイズ日本のエイズ』で述べたとおりです。
ですから、少しでもリスクのある性交渉があるならHIVの検査を受けるべき、というのは間違いではありません。
問題はここからです。
HIVが気になって検査を・・・という人の何割かは、ともかくHIVが気になっていて他の性感染症については驚くほど無関心なのです。B型肝炎ウイルス(以下HBV)のワクチンを打っていない人も少なくありません。
以前にも述べましたが、HBVのワクチンを打たないでよく分かっていない相手と性的接触をもつなどというのは医療者からみれば考えられないことです。HBVはHIVと異なり、オーラルセックスでも"簡単に"感染しますし、なかにはディープキスで感染したという報告もあります。
医療の現場では、性交渉による感染でなく患者さんの体液に触れることによる感染を危惧して様々な感染予防対策がとられています。HIVに関して言えば、たいていどこの医療機関でもマニュアルが作成され、針刺し事故など感染の危険性のある出来事があればすぐに抗HIV薬を内服することになっています。(太融寺町谷口医院にももちろんスタッフのための抗HIV薬を常備しています)
しかし、HIV対策というのは、医療現場で感染しうる多くの感染症のなかのひとつにすぎないわけで、しかも感染力がそれほど強くないわけですから、例えば感染予防対策マニュアルの1ページ目にHIVの記載があるわけではありません。
針刺し事故などのカテゴリーに入れられる感染症のなかで、最優先の(要するに最も感染力が強く予防を徹底しなければならない)感染症はやはりHBVでしょう。ですから、医療者は全員、医師や看護師だけでなく検査技師や事務員も、HBVのワクチン接種をおこない抗体ができていることを確認しなければならないのです。
もしもHIV対策にのみ必死になり、命にかかわる感染症でありなおかつ感染力がHIVよりもはるかに強いHBVの対策をいい加減にしているとすれば本末転倒です。そんな医療機関はあり得ませんが、もしもあったとしたら他の医療機関から笑いものになるだけではすまないでしょう。感染症に対して無知という烙印をおされ、医療界から消されるでしょう。(というよりそんな医療機関がもしあれば患者さんに被害が出る前に今すぐに消えてもらわなければなりません)
HBVだけではありません。感染力はHBVよりは弱いと言えますが、C型肝炎ウイルス(以下HCV)も性交渉を通しての感染はあり得ます。(私の印象で言えばHCVは男性同性愛者に多いのですが、異性愛者でもないわけではありません。HIVと同等くらいには男女間のHCV感染はあると思われます)
また、治る病気とは言え、梅毒も侮ってはいけません。ここ数年で、いったん減少しかけていた梅毒が増加傾向にあります。そして、私の印象でいえば、圧倒的に男性同性間が多かった一昔前に比べて、確実に女性の感染者や女性から感染する男性が増えています。
さらに言えば、クラミジアや淋病、性器ヘルペスや尖圭コンジローマなどもHIVに比べると遥かに感染力が強いわけで、そういったいつかかってもおかしくない(しかもコンドームで防ぎきれないこともある)感染症が心配にならずに、HIVのみに恐怖を感じている人に対してはどうしても違和感を覚えてしまいます。
次回は、HIVを特別視することで生じているもうひとつの弊害についてお話いたします。
同省によりますと、HIV感染者は1,126人(2007年は1,082人)、エイズ発症者は431人(2007年は418人)で、ともに過去最多を更新しています。さらに、これらの数字は6年連続で過去最多を更新していることになります。
6年連続過去最多、となると、「気になる人は検査にいきましょう」「HIVはもう稀な感染症ではありません」、などと言われるようになり、行政やNGOなどの団体は、HIVの検査キャンペーンなどをおこない、積極的に検査を促すようになります。
GINAでもこれまで検査の重要性を訴えてきたつもりではありますが、では、HIVの検査を積極的にしていればそれで問題はないのか、と言えば決してそんなことはありません。
このウェブサイトをみてメールで質問される人は少なくありませんが、それらのメールを読んだり、また私は太融寺町谷口医院で毎日のようにHIVに関する相談を患者さんから直接受けますが、患者さんの悩みを聞いたりしていると、HIVはまだまだ誤解されているんだな、と感じることがよくあります。
今回は私が日々感じている憂うべきHIVに関する誤解についてお話したいと思います。
なぜHIVが誤解されているのか。この答えは、HIVを特別視しすぎることにあるのではないか、と私は感じています。
HIVは特別な感染症で絶対にかかってはいけない。だから少しでも可能性があるなら検査しないといけない。体液が付着していたかもしれないシーツに触れてしまった・・・、落ちているハンカチに血がついていたような気がする・・・、蚊にさされたけどこの蚊が自分の前にHIV陽性者に吸血していたら・・・。
こういった理論的に感染しうるはずのないことでも不安から逃れられない人がいます。理論的に感染の可能性を否定できないケースで、実際の医療現場で患者さんから最もよく聞くのは次のようなことです。
先日、(交際相手以外の人と)性交渉を持ってしまった。コンドームはしていたけど、相手の体液が自分に触れたような気がする。HIVが心配になってきた・・・。
この場合、リスクはゼロではないかもしれません。まず、日本人というのは、コンドームはしているといっても、よく聞くと、フェラチオ(fellatio)の際にはコンドームを使用しなかったという人が非常に多いという特徴があります。(これはGINAがおこなったタイのsex workerに関する調査であきらかとなりました)
また、クンニリングス(cunnilingus)の際に用いるデンタルダム(女性器に覆うカバーのようなもの)は日本ではほとんど売れないそうです。ということは、日本人はオーラルセックスについてはかなり無頓着ということになります。
HIVはオーラルセックスで感染する可能性はそれほど高くありませんが、ないわけではありません。タイでは以前から、オーラルセックスの危険性が繰り返し強調されていますし、日本での症例については拙書『今そこにあるタイのエイズ日本のエイズ』で述べたとおりです。
ですから、少しでもリスクのある性交渉があるならHIVの検査を受けるべき、というのは間違いではありません。
問題はここからです。
HIVが気になって検査を・・・という人の何割かは、ともかくHIVが気になっていて他の性感染症については驚くほど無関心なのです。B型肝炎ウイルス(以下HBV)のワクチンを打っていない人も少なくありません。
以前にも述べましたが、HBVのワクチンを打たないでよく分かっていない相手と性的接触をもつなどというのは医療者からみれば考えられないことです。HBVはHIVと異なり、オーラルセックスでも"簡単に"感染しますし、なかにはディープキスで感染したという報告もあります。
医療の現場では、性交渉による感染でなく患者さんの体液に触れることによる感染を危惧して様々な感染予防対策がとられています。HIVに関して言えば、たいていどこの医療機関でもマニュアルが作成され、針刺し事故など感染の危険性のある出来事があればすぐに抗HIV薬を内服することになっています。(太融寺町谷口医院にももちろんスタッフのための抗HIV薬を常備しています)
しかし、HIV対策というのは、医療現場で感染しうる多くの感染症のなかのひとつにすぎないわけで、しかも感染力がそれほど強くないわけですから、例えば感染予防対策マニュアルの1ページ目にHIVの記載があるわけではありません。
針刺し事故などのカテゴリーに入れられる感染症のなかで、最優先の(要するに最も感染力が強く予防を徹底しなければならない)感染症はやはりHBVでしょう。ですから、医療者は全員、医師や看護師だけでなく検査技師や事務員も、HBVのワクチン接種をおこない抗体ができていることを確認しなければならないのです。
もしもHIV対策にのみ必死になり、命にかかわる感染症でありなおかつ感染力がHIVよりもはるかに強いHBVの対策をいい加減にしているとすれば本末転倒です。そんな医療機関はあり得ませんが、もしもあったとしたら他の医療機関から笑いものになるだけではすまないでしょう。感染症に対して無知という烙印をおされ、医療界から消されるでしょう。(というよりそんな医療機関がもしあれば患者さんに被害が出る前に今すぐに消えてもらわなければなりません)
HBVだけではありません。感染力はHBVよりは弱いと言えますが、C型肝炎ウイルス(以下HCV)も性交渉を通しての感染はあり得ます。(私の印象で言えばHCVは男性同性愛者に多いのですが、異性愛者でもないわけではありません。HIVと同等くらいには男女間のHCV感染はあると思われます)
また、治る病気とは言え、梅毒も侮ってはいけません。ここ数年で、いったん減少しかけていた梅毒が増加傾向にあります。そして、私の印象でいえば、圧倒的に男性同性間が多かった一昔前に比べて、確実に女性の感染者や女性から感染する男性が増えています。
さらに言えば、クラミジアや淋病、性器ヘルペスや尖圭コンジローマなどもHIVに比べると遥かに感染力が強いわけで、そういったいつかかってもおかしくない(しかもコンドームで防ぎきれないこともある)感染症が心配にならずに、HIVのみに恐怖を感じている人に対してはどうしても違和感を覚えてしまいます。
次回は、HIVを特別視することで生じているもうひとつの弊害についてお話いたします。