GINAと共に
第35回 アートメイクとピアスとタトゥー(2009年5月)
新型インフルエンザが世間を騒がせており、私が院長をつとめる太融寺町谷口医院(旧すてらめいとクリニック)にも、少しの風邪症状だけで「インフルエンザかも?」と考えて受診する患者さんが後を絶ちませんが、ほぼ毎日のように「HIVが心配で・・・」という人も来られます。
私は、HIV感染を心配しているという人に対して、「もしも感染しているとすれば性感染ですか、それとも血液感染ですか」と尋ねるようにしています。
すると、圧倒的に多いのが「性感染を心配しています」という答えで、「血液感染が心配」という人は、10人中1人程度です。なかには、「血液感染ってどんなのですか?」と逆に質問される場合もあり、「HIV感染=性感染」と考えている人すらいます。
たしかに、HIV感染、特に日本のHIV感染は圧倒的多数が性的接触によるものです。ですから、「危険な性交渉を控える」「性交渉のときにはコンドームを」などというのはHIV感染を防ぐ上では大変大切なことではあります。
しかし、それだけでは充分ではありません。もちろん、その人がどのような行動をとっているかにもよりますが、「血液感染としてのHIV」に対する意識に乏しい人がけっこう多いようだな・・・、と私は感じています。
HIVの血液感染で最たるものは、「違法薬物の静脈注射」です。もっとありていの言葉で言えば「針の使いまわし」です。これについては、このウェブサイトでも何度も繰り返し危険性を強調してきました。薬物常用者(ジャンキー)は、医療従事者でもない限り、薬物と同様(あるいはそれ以上に)新しい針を入手するのが困難です。そのため、何度も同じ針を使うことになりますが針は一度使えば鋭利さに乏しくなりますから、何度か使用するうちに静脈に刺しにくくなります。そのため、ジャンキーはいつも新しい針をなんとかして手に入れたいと考えています。
そんなときに、他人が一度だけ使った針がそこにあったとすれば、まだその針には鋭利さがあり静脈に刺入しやすいと考えるわけです。これが回しうちにつながりHIVを含む感染症の原因になるというわけです。
さて、今回お話したいのは薬物の静脈注射以外の血液感染です。多くの人にとってノーマークなのが、アートメイクとボディピアス、そしてタトゥーです。これらは、日本でおこなうよりも海外で施術をした方が安くつくこともあり、安易な気持ちで海外旅行に出掛けたときに、開放的な気分が後押しすることもあるのかもしれませんが、試してしまうという人が少なくありません。
最近私が知り合った人(日本人女性)も、海外のある国でHIVに感染しました。その人は、いつどこでどのようにHIVに感染したのか見当もつかない、と私に話しました。外国人との性交渉はありますが、交際相手だけですし、危険な性交渉(unprotected sex)の経験もないと言います。しかし、よくよく聞いてみれば、1年ほど前に海外でアートメイクの施術を受けたことが分かりました。確証はできませんが、状況からこの人はアートメイクの施術でHIVに感染した可能性が強いのです。
今のところ、日本のタトゥーショップやアートメイクの施術でHIVに感染したという症例は私の知る限りではありません。では、日本では安全なのかというと、そうは言い切れないと考えた方がいいでしょう。HIV感染は表に出てこないだけで実際にはありうる可能性もありますし、C型肝炎ウイルス(以下HCV)やB型肝炎ウイルス(以下HBV)などは充分にあり得ます。実際、私が診察した患者さんのなかにも日本のタトゥーショップでHCVに感染した人は何人もいます。
興味深いことに、タトゥーなどでHCVに感染した人のなかには、HIVに対しては豊富な知識を持っている人が少なくありません。最近私が診察した患者さんのなかに、「大丈夫だとは思うけどタトゥーでHIVに感染したことを否定したいので・・・」と言ってHIV抗体検査を希望された方がいました。私は問診時にその人に、「HIVもみておいた方がいいかとは思いますが、HCVは大丈夫と言い切れますか」と質問すると、意外にもその人はHCVがタトゥーで感染するということを知りませんでした。"意外にも"と私が感じたのは、HIVに関しては充分な知識を持っていたからです。HIVに対しては知識が豊富でHCVについてはほとんど何も知らない・・・。医療者からみれば、HIVよりも感染力が(少なくとも血液感染で言えば)強く、感染者もはるかに多い(日本のHCV陽性者は200万人以上とも言われています)HCVがノーマークになっていることに大変な違和感を覚えるのです。
私がすすめたこともあり、この人はHIVだけでなくHCVの検査もおこないました。結果は、HIVは陰性であったものの、HCVは「陽性」でした。(HBVは陰性でした)
ここで、なぜタトゥーやアートメイクでHIVやHCV、HBVといった感染症に罹患するのかについて考えてみましょう。おそらく世界中どこのタトゥーショップに行っても、「針は使い捨てを使用しています」と答えるに違いありません。では、使い捨ての針を使っているのにもかかわらずどうして感染するのか。学術的な調査がなされたわけではありませんが、おそらく色を付けるための墨が入っている「墨つぼ」に一番の原因があるのではないかと思われます。
感染予防対策を徹底しようと思えば、針や彫刻刀だけではなく、墨つぼも使い捨てにしなければなりません。実際に、HIVやHCVに感染している人がいることを考えると、アートメイクショップやタトゥーショップで使用されている墨つぼは客ごとに新しいものに取り替えられていない可能性があります。あるいは、墨つぼの製造過程に問題があるのかもしれません。
さらに、針や彫刻刀、墨つぼが完全に無菌状態であったとしても、施術者がHIVやHCVに感染している場合は、感染のリスクが完全にゼロにはならないと考えるべきでしょう。また、施術をおこなう際の環境にも注意を払うべきでしょう。(医療の手術現場では、術野を完全に滅菌された状態に保ちますが、同じような環境でタトゥーやアートメイクがおこなわれているとは考えられません)
このように述べると、タトゥーやアートメイク、ボディピアス(ボディピアスは墨を使いませんが海外のショップでは不衛生なところがあると言われています)は、感染予防上おこなってはいけないもの、と聞こえてしまいますが、こういったものが衛生上の観点からのみ語られることには問題があります。
こういったものは芸術、あるいは文化とも言えるわけで、感染のリスクがあるからという理由だけで否定することはできません。(例えば、アンジェリーナ・ジョリーの背中に入っている虎のタトゥーは、タイの伝統的な寺で入れられています)
医療機関の手術室でタトゥー、というのが解決策であるようにも思いますが、現実的ではありません。まずは、施術を受ける方も、施術をおこなう方も、感染症の知識を確かなものとすることが大切でしょう。正しい知識を持つ持たないで、感染症のリスクは天と地ほど変わるのですから。
参考:太融寺町谷口医院ウェブサイト メディカル・エッセィ 第16回 「タトゥーの功罪」(http://www.stellamate-clinic.org/med_esse-1.htm#16)2005年6月1日
私は、HIV感染を心配しているという人に対して、「もしも感染しているとすれば性感染ですか、それとも血液感染ですか」と尋ねるようにしています。
すると、圧倒的に多いのが「性感染を心配しています」という答えで、「血液感染が心配」という人は、10人中1人程度です。なかには、「血液感染ってどんなのですか?」と逆に質問される場合もあり、「HIV感染=性感染」と考えている人すらいます。
たしかに、HIV感染、特に日本のHIV感染は圧倒的多数が性的接触によるものです。ですから、「危険な性交渉を控える」「性交渉のときにはコンドームを」などというのはHIV感染を防ぐ上では大変大切なことではあります。
しかし、それだけでは充分ではありません。もちろん、その人がどのような行動をとっているかにもよりますが、「血液感染としてのHIV」に対する意識に乏しい人がけっこう多いようだな・・・、と私は感じています。
HIVの血液感染で最たるものは、「違法薬物の静脈注射」です。もっとありていの言葉で言えば「針の使いまわし」です。これについては、このウェブサイトでも何度も繰り返し危険性を強調してきました。薬物常用者(ジャンキー)は、医療従事者でもない限り、薬物と同様(あるいはそれ以上に)新しい針を入手するのが困難です。そのため、何度も同じ針を使うことになりますが針は一度使えば鋭利さに乏しくなりますから、何度か使用するうちに静脈に刺しにくくなります。そのため、ジャンキーはいつも新しい針をなんとかして手に入れたいと考えています。
そんなときに、他人が一度だけ使った針がそこにあったとすれば、まだその針には鋭利さがあり静脈に刺入しやすいと考えるわけです。これが回しうちにつながりHIVを含む感染症の原因になるというわけです。
さて、今回お話したいのは薬物の静脈注射以外の血液感染です。多くの人にとってノーマークなのが、アートメイクとボディピアス、そしてタトゥーです。これらは、日本でおこなうよりも海外で施術をした方が安くつくこともあり、安易な気持ちで海外旅行に出掛けたときに、開放的な気分が後押しすることもあるのかもしれませんが、試してしまうという人が少なくありません。
最近私が知り合った人(日本人女性)も、海外のある国でHIVに感染しました。その人は、いつどこでどのようにHIVに感染したのか見当もつかない、と私に話しました。外国人との性交渉はありますが、交際相手だけですし、危険な性交渉(unprotected sex)の経験もないと言います。しかし、よくよく聞いてみれば、1年ほど前に海外でアートメイクの施術を受けたことが分かりました。確証はできませんが、状況からこの人はアートメイクの施術でHIVに感染した可能性が強いのです。
今のところ、日本のタトゥーショップやアートメイクの施術でHIVに感染したという症例は私の知る限りではありません。では、日本では安全なのかというと、そうは言い切れないと考えた方がいいでしょう。HIV感染は表に出てこないだけで実際にはありうる可能性もありますし、C型肝炎ウイルス(以下HCV)やB型肝炎ウイルス(以下HBV)などは充分にあり得ます。実際、私が診察した患者さんのなかにも日本のタトゥーショップでHCVに感染した人は何人もいます。
興味深いことに、タトゥーなどでHCVに感染した人のなかには、HIVに対しては豊富な知識を持っている人が少なくありません。最近私が診察した患者さんのなかに、「大丈夫だとは思うけどタトゥーでHIVに感染したことを否定したいので・・・」と言ってHIV抗体検査を希望された方がいました。私は問診時にその人に、「HIVもみておいた方がいいかとは思いますが、HCVは大丈夫と言い切れますか」と質問すると、意外にもその人はHCVがタトゥーで感染するということを知りませんでした。"意外にも"と私が感じたのは、HIVに関しては充分な知識を持っていたからです。HIVに対しては知識が豊富でHCVについてはほとんど何も知らない・・・。医療者からみれば、HIVよりも感染力が(少なくとも血液感染で言えば)強く、感染者もはるかに多い(日本のHCV陽性者は200万人以上とも言われています)HCVがノーマークになっていることに大変な違和感を覚えるのです。
私がすすめたこともあり、この人はHIVだけでなくHCVの検査もおこないました。結果は、HIVは陰性であったものの、HCVは「陽性」でした。(HBVは陰性でした)
ここで、なぜタトゥーやアートメイクでHIVやHCV、HBVといった感染症に罹患するのかについて考えてみましょう。おそらく世界中どこのタトゥーショップに行っても、「針は使い捨てを使用しています」と答えるに違いありません。では、使い捨ての針を使っているのにもかかわらずどうして感染するのか。学術的な調査がなされたわけではありませんが、おそらく色を付けるための墨が入っている「墨つぼ」に一番の原因があるのではないかと思われます。
感染予防対策を徹底しようと思えば、針や彫刻刀だけではなく、墨つぼも使い捨てにしなければなりません。実際に、HIVやHCVに感染している人がいることを考えると、アートメイクショップやタトゥーショップで使用されている墨つぼは客ごとに新しいものに取り替えられていない可能性があります。あるいは、墨つぼの製造過程に問題があるのかもしれません。
さらに、針や彫刻刀、墨つぼが完全に無菌状態であったとしても、施術者がHIVやHCVに感染している場合は、感染のリスクが完全にゼロにはならないと考えるべきでしょう。また、施術をおこなう際の環境にも注意を払うべきでしょう。(医療の手術現場では、術野を完全に滅菌された状態に保ちますが、同じような環境でタトゥーやアートメイクがおこなわれているとは考えられません)
このように述べると、タトゥーやアートメイク、ボディピアス(ボディピアスは墨を使いませんが海外のショップでは不衛生なところがあると言われています)は、感染予防上おこなってはいけないもの、と聞こえてしまいますが、こういったものが衛生上の観点からのみ語られることには問題があります。
こういったものは芸術、あるいは文化とも言えるわけで、感染のリスクがあるからという理由だけで否定することはできません。(例えば、アンジェリーナ・ジョリーの背中に入っている虎のタトゥーは、タイの伝統的な寺で入れられています)
医療機関の手術室でタトゥー、というのが解決策であるようにも思いますが、現実的ではありません。まずは、施術を受ける方も、施術をおこなう方も、感染症の知識を確かなものとすることが大切でしょう。正しい知識を持つ持たないで、感染症のリスクは天と地ほど変わるのですから。
参考:太融寺町谷口医院ウェブサイト メディカル・エッセィ 第16回 「タトゥーの功罪」(http://www.stellamate-clinic.org/med_esse-1.htm#16)2005年6月1日