GINAと共に

第28回 「自分探し」はよくないことか(2008年10月)

 前回も取り上げた映画『闇の子供たち』のなかで、ジャーナリストの清水哲夫(豊原功補)が、タイのNGOで働く音羽恵子(宮崎あおい)に、「なぜタイなんだ。どうせ自分探しなんだろ」と、こけおろすように尋問するシーンがあります。音羽恵子は、「そんなんじゃありません!」とむきになって反論しますが、私がこのシーンを見たときは、「そうそう、こういう若者って自分探しのためにタイに来てるよなぁ・・・」というものでした。

 また、他人の目をみてしゃべることのできないカメラマン与田博明(妻夫木聡)に対しても、「こういう自分探しのヤツもいるよなぁ・・・」と感じました。

 私はこれまでタイの様々なところで、自分探しをしている若者と会ってきました。なかには好感のもてるタイプもいますが、そうでない若者もいます。好感のもてるタイプというのは、やはり音羽恵子のように、始めから目的を持ってタイに来ているような場合です。

 音羽恵子は東京の大学で福祉を学び、タイの大学に短期留学もしています。タイでは、社会福祉センターでもあるNGOの「バーンウンアイラック(愛あふれる家)」にボランティアとしてやってきて、学校に行けない子供たちの世話をしています。

 目的をもっているのに、なぜ自分探しをしているように見えるのか・・・。これは、おそらく音羽恵子のようにはっきりとした意思をもっている者は少数で、タイに来ている若者の多くが「なんとなくタイに来てしまって・・・」というような印象を(私に)与えるからだと思います。

 映画は進行するにつれて、音羽恵子が子供たちのために真剣に尽くすシーンが増えてきます。おそらく映画を最後まで見て、音羽恵子が「単なる自分探しの若者ではない」と感じない人はいないでしょう。

 一方で、タイには「単なる自分探し」としか思えないような日本人の若者がたくさんいます。なかには「自分探しのためにタイにやって来ました!」と答える者もいます。

『闇の子供たち』を見て、「自分探し」について思いを巡らせていて、ふと気がついたことがあります。それは、「もしかして私がタイのエイズ問題に関わったのも自分探しなのではなかったか・・・」ということです。

 私は医学部の学生の頃、ある本で世界最大のエイズホスピスであるパバナプ寺のことを知り、いつか訪問したいという強い希望をもっていました。エイズには元々関心がありましたし、タイでは大勢の患者さんが差別に合い、行き場を失ってそのホスピスに収容されていると聞いていたからです。私が大好きな国タイで「そんな差別があってもいいのか・・・」という思いもありました。そしてパバナプ寺訪問が実現したのが2002年、医師1年目の夏休みです。

 当時のパバナプ寺(というかタイ全体)では、まだ抗HIV薬というものがなく、ホスピスに収容されている人たちは「死」を待つしかありませんでした。なにしろ1日に何人ものエイズ末期の人が亡くなるのです。

 2002年の夏、私はそのパバナプ寺でひとりの患者さんであるノイ(仮名)と出会いました。ノイは自分の夫からHIVをうつされ、その夫はすでに他界しています。ノイは家族からも地域社会からも追い出され、行き場を失ってパバナプ寺にたどりついたのです。

 ノイがパバナプ寺にやってきたときは、失望しかありませんでした。1、2年のうちに死ぬことはほぼ確実なのです。すでにノイの皮膚にはエイズ特有の皮疹がでていました。同じような皮膚症状のある人が毎日何人も死んでいくのを目の当たりにしているのです。このような状態で「生きる希望を持て!」などと言う方がおかしいのです。

 しかしノイは、食事ができなくなりやせ細り死を直前にしている患者さんに対して話をするようになりました。自分にできることは何もないけれど、死を待つしかない人の話し相手にくらいはなれると思ったのです。

 やがて、ノイは元気を取り戻しました。皮膚症状がすでに出現していますがまだ食欲はありますし、簡単な軽作業ならおこなえます。

 私がパバナプ寺を訪問したとき、ノイは米を袋に入れる作業をしていました。私が挨拶をするとノイはにっこりと笑って、生い立ちを聞かせてくれました。そして、今はこの作業ができて楽しいと言います。この仕事をするようになってこんなに力がついたのよ、と言って右腕の力こぶを見せてくれたのです。

 私はこのときのノイの笑顔を忘れることができません。力こぶをつくっているノイは、もうすぐ夫の元に旅立つことを知っているのです。

 2004年の夏、今度は長期の休暇をとって私は再びパバナプ寺にやってきました。そのときに私が真っ先にしたことは、あのノイの笑顔を探すことでした。しかし・・・、ノイはすでに帰らぬ人となっていました。

 2回目となる2004年の訪問の目的は、単なる見学ではなく、長期にわたりパバナプ寺で医師としてボランティアをおこなうことです。すでに私は2年間の研修医生活を終えていましたから、少しくらいは患者さんの役に立てるはずです。

 パバナプ寺にはアメリカ人のボランティア医師もいました。その医師はエイズ専門医ではなく、どんな疾患もみるプライマリ・ケア医だと言います。2002年に私がパバナプ寺を訪問したときに治療をしていたボランティア医師もプライマリ・ケア医でした。

 2人の西洋人のプライマリ・ケア医の活躍をみた私は、ひとつの決断をしました。それは、自分も本格的なプライマリ・ケア医を目指そう、という決断です。エイズ専門医のように、抗HIV薬の投薬を中心にケアする医師よりも、実際の現場でそれぞれの患者さんに耳を傾け、その患者さんの求めていることに応えられる医師になりたいと考えたのです。

 タイから帰国後、私は母校の大学病院の総合診療科の門をたたきました。そして、総合診療医(=プライマリ・ケア医=家庭医)を目指すことにしたのです。

 私が2002年に初めてパバナプ寺を訪問したときは、自分が「自分探し」をしているとはまったく思っていませんでした。しかし、後になって考えてみると、ノイとの出会い、2人のプライマリ・ケア医との出会いを通して、自分の道が決まったような気がします。私は、タイで「自分」を見つけてしまったのです!

 『闇の子供たち』を見て、こんなことを考えていると、それまであまり好感を持っていなかったタイによくいる「自分探し」の若者を突然応援したくなってきました。

 「自分探し」の旅にでてもかまわないのです! 始めから「自分」が分かっている人なんていないのですから...。

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