GINAと共に
第23回 「HIV恐怖症」という病(2008年5月)
これから述べる訴えはすべて実際の患者さんからのものです。あなたはどう思いますか。
【症例1】 32歳男性
先日コンビニで買い物をしてレジでお釣りをもらうときに店員がくしゃみをした。そのくしゃみが自分の身体にかかったような気がする。HIVに感染していないか心配・・・
【症例2】 28歳女性
先日駅の公衆トイレを利用した。用を足した後、便器が濡れていることに気付いた。HIVに感染していないか心配・・・
【症例3】 42歳男性 インド人
先日道に落ちていたハンカチを拾った。広げると体液のようなものがついていたような気がする。後から自分の指に「さかむけ」があったことが分かった。HIVに感染していないか心配・・・
さて、彼(女)らがHIVに感染している可能性はあるでしょうか。
もちろん答えは「可能性はない」です。
しかし、彼(女)らはHIVに感染しているという可能性を"真剣に"考えてクリニックを受診しています。
クリニックでHIVの検査をおこなうと有料になります。しかも、これらは到底感染しているとは思えないケースであり、特に自覚症状もないわけですから、HIVの検査には保険適用がありません。つまり、検査をするのは自費扱いとなります。
にもかかわらず、こういったことでHIVを心配する患者さんは少なくありません。私が院長をつとめるすてらめいとクリニックでも、月に1~2名はこういったことでHIVの検査を希望される方が来られます。
もちろん、診察をした上で、「その程度のことでHIVに感染していることはありえないから検査を受ける必要がない」ことを説明します。しかし、なかには「どうしても不安をぬぐいきれないから自費でもいいから検査を受けたい」という人もいます。
私はこういったケースを「HIV恐怖症」と呼んでいます。(英語のできる外国人に説明するときは「HIV phobia」と言います)
HIV恐怖症は、理屈の上で感染の可能性がないことは分かっていてもどうしても不安が払拭できないという特徴があります。
HIVはそんなに簡単に感染する感染症ではありません。一方、HIVよりははるかに感染しやすいような感染症、例えばB型肝炎ウイルスや梅毒に対してはどうかというと、不思議なことに彼(女)らはあまり気にしていません。特に、B型肝炎は感染力が極めて強いですし(唾液から感染したという報告もあります)、感染すると命にかかわる状態になることもあるのに、なぜか「B型肝炎ウイルス恐怖症」という病は(私の知る限り)存在しません。
HIV恐怖症に罹患する人の特徴を簡単に紹介します。男女比は、圧倒的に男性に多く、私の印象では、男性:女性=8:2くらいです。年齢は10代半ばから50歳くらいまでです。興味深いのは、比較的高学歴者に多いという点です。職業でいえば、学校教師、税理士、医師、など比較的高い地位と考えられている職種に多いのが特徴です。
「医師がなぜ?」と思われるかもしれませんが、HIV恐怖症は「理屈の上では感染の可能性がないことは分かっていてもどうしても不安が払拭できない」のが特徴です。HIVについて知識のある医師でもそれは同じなのです。
彼(女)らは、少しでも感染の可能性がないかを必死で考えています。例えば、症例1では、「コンビニの店員がその日に歯の治療を受けていたということはないだろうか。治療後間もないために口腔内に出血があり、くしゃみをして自分の皮膚にかかったとすればどうだろう。自分の皮膚に傷はないが、もしかして自分でも気付いていない目に見えない小さな傷があるのではないだろうか。そういえば昨日の晩、腕がかゆくてかいたかもしれない。そこからHIVが侵入した可能性は否定できない・・・」、といった感じです。
私は、HIV恐怖症の人を診察したとき、感染の可能性はなく検査はお金の無駄であることを説明しますが、なかにはあえて検査を受けてもらう場合もあります。それは、検査の結果を示すことで不安が払拭できることを期待する場合です。しかし、なかには、検査の過程で他人の血液と入れ替わったのではないか・・・、など検査結果の信憑性に不安をもつ人もいます。
HIV恐怖症の人を診察したときに、私が最も重要視していることは、「どうやって不安を取り除くか」です。ケースによっては、不眠や頭痛、胃痛、食欲不振などが伴っていることもありますから、こういった症状についてもケアが必要になってきます。頭痛薬や胃薬が有効なこともありますし、不安をやわらげるような薬が必要になることもあります。一時的に睡眠薬を処方することもあります。
HIV恐怖症が重症化すると、ときにやっかいな事態になることがあります。それは、検査を受けてHIVが陰性であることが分かり、それを納得できるようになったとしても、今度は別のことで「不安」になるのです。HIV恐怖症という不安が別の不安に置き換わるのです。例えば、今まで思ってもみなかった仕事のことや家族のことに対する不安が出現してくるのです。
「不安」というのはある程度のところで断ち切ってあげないと、次から次へと「不安の連鎖」が起こることがあります。これは、ちょうど「痛み」や「アレルギー」に対して、適切な治療をしないと、どんどん症状が悪化していくのと似ています。
最後に、「リスクのある行為からどれくらい時間がたてば検査ができるか」について述べておきます。どのような検査をするかにもよりますが、不安が強い人は、「抗体検査」ではなく「抗原検査」を受けるべきかもしれません。
「抗原」とはHIVそのもののことで、抗原検査にも様々なものがありますが、例えば、すてらめいとクリニックでおこなっている抗原検査は9~11日程度経過していれば検査が可能です。
自分もHIV恐怖症かもしれない・・・。そのように思う方は医療機関を受診してみればいかがでしょうか。
不安が大きすぎないうちに・・・
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【症例1】 32歳男性
先日コンビニで買い物をしてレジでお釣りをもらうときに店員がくしゃみをした。そのくしゃみが自分の身体にかかったような気がする。HIVに感染していないか心配・・・
【症例2】 28歳女性
先日駅の公衆トイレを利用した。用を足した後、便器が濡れていることに気付いた。HIVに感染していないか心配・・・
【症例3】 42歳男性 インド人
先日道に落ちていたハンカチを拾った。広げると体液のようなものがついていたような気がする。後から自分の指に「さかむけ」があったことが分かった。HIVに感染していないか心配・・・
さて、彼(女)らがHIVに感染している可能性はあるでしょうか。
もちろん答えは「可能性はない」です。
しかし、彼(女)らはHIVに感染しているという可能性を"真剣に"考えてクリニックを受診しています。
クリニックでHIVの検査をおこなうと有料になります。しかも、これらは到底感染しているとは思えないケースであり、特に自覚症状もないわけですから、HIVの検査には保険適用がありません。つまり、検査をするのは自費扱いとなります。
にもかかわらず、こういったことでHIVを心配する患者さんは少なくありません。私が院長をつとめるすてらめいとクリニックでも、月に1~2名はこういったことでHIVの検査を希望される方が来られます。
もちろん、診察をした上で、「その程度のことでHIVに感染していることはありえないから検査を受ける必要がない」ことを説明します。しかし、なかには「どうしても不安をぬぐいきれないから自費でもいいから検査を受けたい」という人もいます。
私はこういったケースを「HIV恐怖症」と呼んでいます。(英語のできる外国人に説明するときは「HIV phobia」と言います)
HIV恐怖症は、理屈の上で感染の可能性がないことは分かっていてもどうしても不安が払拭できないという特徴があります。
HIVはそんなに簡単に感染する感染症ではありません。一方、HIVよりははるかに感染しやすいような感染症、例えばB型肝炎ウイルスや梅毒に対してはどうかというと、不思議なことに彼(女)らはあまり気にしていません。特に、B型肝炎は感染力が極めて強いですし(唾液から感染したという報告もあります)、感染すると命にかかわる状態になることもあるのに、なぜか「B型肝炎ウイルス恐怖症」という病は(私の知る限り)存在しません。
HIV恐怖症に罹患する人の特徴を簡単に紹介します。男女比は、圧倒的に男性に多く、私の印象では、男性:女性=8:2くらいです。年齢は10代半ばから50歳くらいまでです。興味深いのは、比較的高学歴者に多いという点です。職業でいえば、学校教師、税理士、医師、など比較的高い地位と考えられている職種に多いのが特徴です。
「医師がなぜ?」と思われるかもしれませんが、HIV恐怖症は「理屈の上では感染の可能性がないことは分かっていてもどうしても不安が払拭できない」のが特徴です。HIVについて知識のある医師でもそれは同じなのです。
彼(女)らは、少しでも感染の可能性がないかを必死で考えています。例えば、症例1では、「コンビニの店員がその日に歯の治療を受けていたということはないだろうか。治療後間もないために口腔内に出血があり、くしゃみをして自分の皮膚にかかったとすればどうだろう。自分の皮膚に傷はないが、もしかして自分でも気付いていない目に見えない小さな傷があるのではないだろうか。そういえば昨日の晩、腕がかゆくてかいたかもしれない。そこからHIVが侵入した可能性は否定できない・・・」、といった感じです。
私は、HIV恐怖症の人を診察したとき、感染の可能性はなく検査はお金の無駄であることを説明しますが、なかにはあえて検査を受けてもらう場合もあります。それは、検査の結果を示すことで不安が払拭できることを期待する場合です。しかし、なかには、検査の過程で他人の血液と入れ替わったのではないか・・・、など検査結果の信憑性に不安をもつ人もいます。
HIV恐怖症の人を診察したときに、私が最も重要視していることは、「どうやって不安を取り除くか」です。ケースによっては、不眠や頭痛、胃痛、食欲不振などが伴っていることもありますから、こういった症状についてもケアが必要になってきます。頭痛薬や胃薬が有効なこともありますし、不安をやわらげるような薬が必要になることもあります。一時的に睡眠薬を処方することもあります。
HIV恐怖症が重症化すると、ときにやっかいな事態になることがあります。それは、検査を受けてHIVが陰性であることが分かり、それを納得できるようになったとしても、今度は別のことで「不安」になるのです。HIV恐怖症という不安が別の不安に置き換わるのです。例えば、今まで思ってもみなかった仕事のことや家族のことに対する不安が出現してくるのです。
「不安」というのはある程度のところで断ち切ってあげないと、次から次へと「不安の連鎖」が起こることがあります。これは、ちょうど「痛み」や「アレルギー」に対して、適切な治療をしないと、どんどん症状が悪化していくのと似ています。
最後に、「リスクのある行為からどれくらい時間がたてば検査ができるか」について述べておきます。どのような検査をするかにもよりますが、不安が強い人は、「抗体検査」ではなく「抗原検査」を受けるべきかもしれません。
「抗原」とはHIVそのもののことで、抗原検査にも様々なものがありますが、例えば、すてらめいとクリニックでおこなっている抗原検査は9~11日程度経過していれば検査が可能です。
自分もHIV恐怖症かもしれない・・・。そのように思う方は医療機関を受診してみればいかがでしょうか。
不安が大きすぎないうちに・・・
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