GINAと共に
第42回 エイズ患者のミイラ展示は是か非か (2009年12月)
パバナプ寺(Wat Phrabhatnamphu)はかなり有名になってきたようで、GINAに対しても「見学に行きたいので訪問の仕方を教えてほしい」とか「ボランティアをしたいので紹介状を書いてほしい」といった問い合わせをときどき受けます。
GINAの紹介で(あるいは私個人の紹介で)パバナプ寺を訪問した人のほとんどは、エイズで死亡した人の死体のミイラが展示されていることについて感想を述べられます。そのほとんどは、「驚いた」という言葉の次に、「見世物みたいでよくないことだと思う」と言います。
パバナプ寺の敷地内には「博物館」と呼ばれる建物があります。この博物館に展示されているのは合計10体ほどの人間のミイラです。各ミイラがショーケースの中に入れられ、ショーケースの前にはその人のプロフィールと生前の写真が載せられたパネルが置かれています。プロフィールには、実名、生年月日、出身地、職業なども記載されています。
ミイラとなる人は、エイズを発症しパバナプ寺でケアを受けた人たちです。現在エイズは死に至る病ではありませんが、それは最近になってからの話であり、まだ抗HIV薬が支給されていなかった2004年の前半くらいまでは、この寺に来ると最終的には死を待つしかありませんでした。現在でも投薬開始が遅れて、つまりエイズの末期になってから寺に来て薬の力では治らなくなった人も亡くなっていきます。
プライバシー保護という言葉に慣れている我々日本人からすると、この死体の展示、それも実名や生前の写真入りの展示ですから大変驚かされます。もちろん、このように驚かされるのは日本人だけでなく、私の知る限りパバナプ寺を訪れたほとんどの西洋人は我々と同じように驚きます。
一方、タイ人に意見を聞くと評価が分かれます。全員というわけではありませんが、私の聞いたところ、いわゆる高学歴者というか、例えば日本に留学に来たことのあるようなタイ人は、やはり我々と同様違和感を覚えると言います。しかし、パバナプ寺のエイズ患者さんたちに意見を聞くと、「別にいいんじゃないの」というような答えが返ってくることも少なくありません。
この問題に対し、タイの英字新聞The Nationが興味深い報道をおこないました。
報道(2009年9月14日)によりますと、タイの複数の市民団体が2009年9月9日、パバナプ寺が長年に渡りエイズ患者の人権を侵害しているとして、「国家人権委員会(National Human Right Commission, NHRC)」に何らかの対処をするよう要求したのです。
実は、私もパバナプ寺でボランティアをしていた頃、寺の職員にこの件について質問したことがあります。「これは日本人的な見方でタイの文化を尊重すべきことを理解した上で質問しますが・・・」と前置きを付けた上で、「このような死体の展示は患者の人権侵害に相当しないのか」と尋ねたのです。
すると、寺の職員は、「死体をミイラ化し展示することに対して生前に本人及び本人の親族から文書で同意を得ている」と答えました。しかし、同意書があればいいというものではないのではないか・・・、と私は感じましたが、これ以上の詰問は外国人がすべきことではないようにも思えました。ボランティアをしにきている私は「郷に入っては郷に従え」という言葉を思い出しました。
上記のThe Nationの記事によりますと、「エイズ患者の権利基金(Foundation for AIDS Rights)」のスパトラ(Supatra Nakhapiew)氏は、「他に選択肢がないエイズ患者が、ケアを受けるためにパバナプ寺に来ている。そんな患者に、ミイラになってくれ、という寺の要求を断ることはできない。本人の同意があるからといって、ミイラ化した裸の遺体を晒すのは行き過ぎた行為だ」と批判しています。
この意見ももっともだと思われます。
さらに同記事によりますと、「タイ・HIV/AIDS患者ネットワーク(Thai Network for People Living with HIV/AIDS)」の代表者も、パバナプ寺がエイズ患者の病棟を公開して寄附金を集めていることに対して、「エイズで苦しんでいる人たちを寄附金集めに利用してはいけない。パバナプ寺のこのやり方には長年疑問を感じていた」と話しているそうです。
さて、私の知る限り、パバナプ寺の職員のほとんどは、看護師も事務員も患者さん想いのいい方々です。The Nationのこの記事を読んで、再びこのミイラの展示のことが気になり、職員に尋ねてみることにしました。上に述べた私が質問した職員は、当時(2004年)のパバナプ寺で比較的高い役職にある人だったため、いわば寺の公式見解であり、その職員のホンネではない可能性があります。
そう考えた私は、今度はもう少しホンネで話してくれそうな職員にGINAのタイ駐在スタッフを通じて質問してみました。その職員の意見をまとめると次のようになります。
・いたずらに訪問者(見学者)の恐怖心をかきたてたり、ショービジネスであるかのように遺体を陳列したりすることには(個人的には)同意できない。
バナプ寺がエイズ患者さんのケアをおこない、それを訪問者(見学者)に公開している目的は、患者さんが普通に働いている(お寺の中の諸業務にさまざまに携わっている)のを見てもらい、エイズ患者さんも一般社会で働き(普通に)生活出来ることを理解してもらうこと。
・一部の人権団体から死体の展示に関して指摘を受けたことがある。しかし、同団体は一度批判を放ったきりで、以後音沙汰がない。(一度批判を言っただけでその後の連絡がなければ意味がない) そして公的な調査は一度もおこなわれていない。
・(個人的には)一度然るべき(公的)機関からの査察を受けるべきだと考えている。しかしそのような様子は現在のところまったくない。
パバナプ寺が有名になり、同時にこの「死体博物館」も世に知れ渡るようになってきています。この職員が提言しているように、私も「然るべき機関による査察」に賛成です。
けれども、どこの機関が査察をおこなってもきっと一筋縄にはいかないでしょう。私が最後にパバナプ寺を訪問したのは2009年8月ですが、そのときには「死体博物館」とは別の建物に、臓器ごとの展示がおこなわれていました。心臓、脳、肝臓、腸管、陰茎などがホルマリンにつけられ展示されているのです。
査察が入り、仮に死体のミイラはNGとなったとして、ではこれら臓器の展示はどうするのかという問題が残ります。また、そもそも重症病棟に一般の見学者を入れることはどうなのか(多い日は千人近くの観光客が重症病棟に入るのです!)という問題もあります。
一方で、もしも死体の展示も重症病棟の見学もなくせば、寄附金が集まらず患者さんのケアができなくなってしまう可能性があるのもまた事実なのです。
GINAの紹介で(あるいは私個人の紹介で)パバナプ寺を訪問した人のほとんどは、エイズで死亡した人の死体のミイラが展示されていることについて感想を述べられます。そのほとんどは、「驚いた」という言葉の次に、「見世物みたいでよくないことだと思う」と言います。
パバナプ寺の敷地内には「博物館」と呼ばれる建物があります。この博物館に展示されているのは合計10体ほどの人間のミイラです。各ミイラがショーケースの中に入れられ、ショーケースの前にはその人のプロフィールと生前の写真が載せられたパネルが置かれています。プロフィールには、実名、生年月日、出身地、職業なども記載されています。
ミイラとなる人は、エイズを発症しパバナプ寺でケアを受けた人たちです。現在エイズは死に至る病ではありませんが、それは最近になってからの話であり、まだ抗HIV薬が支給されていなかった2004年の前半くらいまでは、この寺に来ると最終的には死を待つしかありませんでした。現在でも投薬開始が遅れて、つまりエイズの末期になってから寺に来て薬の力では治らなくなった人も亡くなっていきます。
プライバシー保護という言葉に慣れている我々日本人からすると、この死体の展示、それも実名や生前の写真入りの展示ですから大変驚かされます。もちろん、このように驚かされるのは日本人だけでなく、私の知る限りパバナプ寺を訪れたほとんどの西洋人は我々と同じように驚きます。
一方、タイ人に意見を聞くと評価が分かれます。全員というわけではありませんが、私の聞いたところ、いわゆる高学歴者というか、例えば日本に留学に来たことのあるようなタイ人は、やはり我々と同様違和感を覚えると言います。しかし、パバナプ寺のエイズ患者さんたちに意見を聞くと、「別にいいんじゃないの」というような答えが返ってくることも少なくありません。
この問題に対し、タイの英字新聞The Nationが興味深い報道をおこないました。
報道(2009年9月14日)によりますと、タイの複数の市民団体が2009年9月9日、パバナプ寺が長年に渡りエイズ患者の人権を侵害しているとして、「国家人権委員会(National Human Right Commission, NHRC)」に何らかの対処をするよう要求したのです。
実は、私もパバナプ寺でボランティアをしていた頃、寺の職員にこの件について質問したことがあります。「これは日本人的な見方でタイの文化を尊重すべきことを理解した上で質問しますが・・・」と前置きを付けた上で、「このような死体の展示は患者の人権侵害に相当しないのか」と尋ねたのです。
すると、寺の職員は、「死体をミイラ化し展示することに対して生前に本人及び本人の親族から文書で同意を得ている」と答えました。しかし、同意書があればいいというものではないのではないか・・・、と私は感じましたが、これ以上の詰問は外国人がすべきことではないようにも思えました。ボランティアをしにきている私は「郷に入っては郷に従え」という言葉を思い出しました。
上記のThe Nationの記事によりますと、「エイズ患者の権利基金(Foundation for AIDS Rights)」のスパトラ(Supatra Nakhapiew)氏は、「他に選択肢がないエイズ患者が、ケアを受けるためにパバナプ寺に来ている。そんな患者に、ミイラになってくれ、という寺の要求を断ることはできない。本人の同意があるからといって、ミイラ化した裸の遺体を晒すのは行き過ぎた行為だ」と批判しています。
この意見ももっともだと思われます。
さらに同記事によりますと、「タイ・HIV/AIDS患者ネットワーク(Thai Network for People Living with HIV/AIDS)」の代表者も、パバナプ寺がエイズ患者の病棟を公開して寄附金を集めていることに対して、「エイズで苦しんでいる人たちを寄附金集めに利用してはいけない。パバナプ寺のこのやり方には長年疑問を感じていた」と話しているそうです。
さて、私の知る限り、パバナプ寺の職員のほとんどは、看護師も事務員も患者さん想いのいい方々です。The Nationのこの記事を読んで、再びこのミイラの展示のことが気になり、職員に尋ねてみることにしました。上に述べた私が質問した職員は、当時(2004年)のパバナプ寺で比較的高い役職にある人だったため、いわば寺の公式見解であり、その職員のホンネではない可能性があります。
そう考えた私は、今度はもう少しホンネで話してくれそうな職員にGINAのタイ駐在スタッフを通じて質問してみました。その職員の意見をまとめると次のようになります。
・いたずらに訪問者(見学者)の恐怖心をかきたてたり、ショービジネスであるかのように遺体を陳列したりすることには(個人的には)同意できない。
バナプ寺がエイズ患者さんのケアをおこない、それを訪問者(見学者)に公開している目的は、患者さんが普通に働いている(お寺の中の諸業務にさまざまに携わっている)のを見てもらい、エイズ患者さんも一般社会で働き(普通に)生活出来ることを理解してもらうこと。
・一部の人権団体から死体の展示に関して指摘を受けたことがある。しかし、同団体は一度批判を放ったきりで、以後音沙汰がない。(一度批判を言っただけでその後の連絡がなければ意味がない) そして公的な調査は一度もおこなわれていない。
・(個人的には)一度然るべき(公的)機関からの査察を受けるべきだと考えている。しかしそのような様子は現在のところまったくない。
パバナプ寺が有名になり、同時にこの「死体博物館」も世に知れ渡るようになってきています。この職員が提言しているように、私も「然るべき機関による査察」に賛成です。
けれども、どこの機関が査察をおこなってもきっと一筋縄にはいかないでしょう。私が最後にパバナプ寺を訪問したのは2009年8月ですが、そのときには「死体博物館」とは別の建物に、臓器ごとの展示がおこなわれていました。心臓、脳、肝臓、腸管、陰茎などがホルマリンにつけられ展示されているのです。
査察が入り、仮に死体のミイラはNGとなったとして、ではこれら臓器の展示はどうするのかという問題が残ります。また、そもそも重症病棟に一般の見学者を入れることはどうなのか(多い日は千人近くの観光客が重症病棟に入るのです!)という問題もあります。
一方で、もしも死体の展示も重症病棟の見学もなくせば、寄附金が集まらず患者さんのケアができなくなってしまう可能性があるのもまた事実なのです。