GINAと共に
第15回 "HIV陰性=OK"という誤解(2007年9月)
私が院長をつとめる「すてらめいとクリニック」には、性感染症の検査目的の患者さんが毎日のように来られます。
検査を受ける動機は、「見知らぬ相手と性交渉をもってしまった」、「酔った勢いで風俗店に行ってしまった」、「海外でついハメをはずしてしまった」、「顧客に強引なセックスを強要された」といったものもあれば、「新しい彼(女)ができたから」、「結婚することになったので」というものもあります。
また、「特に危険な行為があるわけではないけれど、なんとなく気になって・・・」という人もいます。
少し前までは、「カップルで来られるのは西洋人だけで、日本人はひとりで受診する」という特徴がありましたが、最近は、カップルで検査を受けに来る日本人の患者さんも増えてきました。(もちろんこれは歓迎すべきことです!) また、最初はひとりで来て、その後に彼(女)を連れてくるというパターンも増えてきています。
HIV感染というのは性感染だけではありません。「海外でタトゥーを入れたことが心配・・・」、「昔遊び半分でシャブをやったことがあって・・・」、という理由でHIV感染を心配している人もいます。
HIVに対する世間の関心が高まって、検査を受けに来る人が増えることはもちろん歓迎されるべきことなのですが、患者さんのなかには大きな誤解をしている人がいます。
それは、「HIV陰性ならそれでOK」という誤解です。
これがなぜ誤解なのかを説明していきましょう。
まず、HIVは性感染でも血液感染でもそれほど感染力の強い感染症ではありません。例えば、医療者の針刺し事故を考えたとき、B型肝炎ウイルス(HBV)であれば感染の可能性は30%、C型肝炎ウイルス(HCV)なら3%程度です。それに対し、HIV感染の可能性はわずか0.3%です。(10分の1ずつ減っていくところが興味深いですね)
性感染の場合は、数字のデータは見たことがありませんが、B型肝炎ウイルスの感染力がHIVとは比較にならない程強いのは間違いありません。日々の臨床の現場でも、風俗店のオーラルセックス(フェラチオ)で風俗嬢からB型肝炎ウイルスをうつされたという男性や、逆に客からうつされたという女性は、まったく珍しくありません。ディープキスでB型肝炎ウイルスがうつったという報告もあります(ただし、学会で報告されるくらいですからディープキスでの感染の頻度は多くないと思われます)
次に、ウイルスを保有している人の数をみてみましょう。日本では、HIV陽性の人は累計で約1万3千人です。それに対し、B型肝炎では約120万人、HTLV-1で120万人から150万人、C型肝炎にいたっては200万人とも言われています。梅毒については、はっきりしたデータはありませんが、おそらく数十万人程度は病原体を保有しているでしょう。
海外でもこの傾向は同じです。例えば、タイではHIV陽性者が約58万人、中国では65万人とされていますが(中国の実数はこれよりはるかに多いとみられています)、B型肝炎ウイルスやC型肝炎ウイルスはその何十倍も多いのは間違いありません。
つまるところ、HIVというのは血液感染でみても、性感染でみても、他の感染症と比較して、感染力が圧倒的に弱いことに加え、病原体を保有している人に出会う可能性も格段に低いわけです。
もちろん、そのようなHIVにも感染している人はいるわけですから、危険なことをしても大丈夫ということにはなりません。実際、HIVに感染した人たちと話をすると、ごく些細なことで感染している人が多いことに驚かされます。
しかし、全体からみれば、HIVというのはもっとも感染しにくい感染症とも言えるわけで、それならば、HIVだけを調べてその結果が陰性であればそれでOKというのは理屈の上でもおかしいわけです。
ただ、もしもB型肝炎ウイルス、C型肝炎ウイルス、HTLV-1などが、HIVに比べて治癒しやすいものであったとすれば、HIVに最も注目すべきということになります。
けれども、実際はそうではありません。HIVに対しては、効果の高い薬剤が次々と開発されたおかげで、現在はかなりの確率でエイズを発症しにくくなっています。しかも、最近では薬を飲むのは1日1回、朝だけとなっています。これなら、薬を職場に持っていく必要もありませんし、規則正しい生活をしていれば飲み忘れることもないでしょう。
一方、他の感染症をみてみると、例えば、B型肝炎ウイルスに感染して、ウイルスが体内に遷延し慢性化した場合、高価な薬をかなり長期に渡って服用しなければなりません。(B型肝炎ウイルスの薬は、HIVに対しても使われることのあるものです) それに、B型肝炎ウイルスに感染すれば、急性肝炎から劇症肝炎に移行することもあり、そうなればかなりの確率で命を奪われます。危険な性行為をした数ヵ月後に命を落としているかもしれないのがB型肝炎ウイルスなのです。(だからこそ、ワクチン接種が大切なのです!)
C型肝炎ウイルスは、B型肝炎ウイルスのように劇症化することはほとんどありませんが、その多くは慢性化し、やがて肝硬変や肝癌に移行していきます。ウイルスを死滅させる薬としてインターフェロンという注射薬があります。最近は、かなり効果の高いインターフェロンが使われるようになってきましたが、それでもおよそ6割の人にしか効きません。あとの4割は何もなす術がないのです。しかも、インターフェロンの注射は週に一度、約1年間打ち続けなければなりません。副作用の少ない注射ではありませんし、それを乗り越えたとしても4割の人は効果がなく、やがて肝硬変や肝癌を待つことになるのです。
HTLV-1はさらに絶望的で、いったん症状が出現すれば有効な治療法がほとんどありません。
もう一度まとめなおすと、HIVよりも、B型肝炎ウイルス、C型肝炎ウイルス、HTLV-1などの感染症の方が、病原体を保有している人がはるかに多く、感染力も強く、感染すれば有効な手立てがないことも多いのです!
さらに、クラミジアや淋病といった尿道炎、咽頭炎、子宮けい管炎をきたす性感染症も早期発見すれば簡単に治りますが、放置しておくと危険な状態になりかねません。特に、女性が子宮けい管炎をおこした場合、進行して卵管炎がおきれば卵管がつまり不妊の原因となりますし、さらに進行しておなかのなかまでいけば緊急開腹手術になることもあります。
HIV感染が心配ならば、HIVだけでなく、他の感染症も確認しておく必要があるということがお分かりいただけたでしょうか。
参考:
太融寺町谷口医院ウェブサイト
「はやりの病気」第43回「B型肝炎にはワクチンを」
「はやりの病気」第47回「誤解だらけのHTLV-1感染症(前編)」
「はやりの病気」第48回「誤解だらけのHTLV-1感染症(後編)」
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検査を受ける動機は、「見知らぬ相手と性交渉をもってしまった」、「酔った勢いで風俗店に行ってしまった」、「海外でついハメをはずしてしまった」、「顧客に強引なセックスを強要された」といったものもあれば、「新しい彼(女)ができたから」、「結婚することになったので」というものもあります。
また、「特に危険な行為があるわけではないけれど、なんとなく気になって・・・」という人もいます。
少し前までは、「カップルで来られるのは西洋人だけで、日本人はひとりで受診する」という特徴がありましたが、最近は、カップルで検査を受けに来る日本人の患者さんも増えてきました。(もちろんこれは歓迎すべきことです!) また、最初はひとりで来て、その後に彼(女)を連れてくるというパターンも増えてきています。
HIV感染というのは性感染だけではありません。「海外でタトゥーを入れたことが心配・・・」、「昔遊び半分でシャブをやったことがあって・・・」、という理由でHIV感染を心配している人もいます。
HIVに対する世間の関心が高まって、検査を受けに来る人が増えることはもちろん歓迎されるべきことなのですが、患者さんのなかには大きな誤解をしている人がいます。
それは、「HIV陰性ならそれでOK」という誤解です。
これがなぜ誤解なのかを説明していきましょう。
まず、HIVは性感染でも血液感染でもそれほど感染力の強い感染症ではありません。例えば、医療者の針刺し事故を考えたとき、B型肝炎ウイルス(HBV)であれば感染の可能性は30%、C型肝炎ウイルス(HCV)なら3%程度です。それに対し、HIV感染の可能性はわずか0.3%です。(10分の1ずつ減っていくところが興味深いですね)
性感染の場合は、数字のデータは見たことがありませんが、B型肝炎ウイルスの感染力がHIVとは比較にならない程強いのは間違いありません。日々の臨床の現場でも、風俗店のオーラルセックス(フェラチオ)で風俗嬢からB型肝炎ウイルスをうつされたという男性や、逆に客からうつされたという女性は、まったく珍しくありません。ディープキスでB型肝炎ウイルスがうつったという報告もあります(ただし、学会で報告されるくらいですからディープキスでの感染の頻度は多くないと思われます)
次に、ウイルスを保有している人の数をみてみましょう。日本では、HIV陽性の人は累計で約1万3千人です。それに対し、B型肝炎では約120万人、HTLV-1で120万人から150万人、C型肝炎にいたっては200万人とも言われています。梅毒については、はっきりしたデータはありませんが、おそらく数十万人程度は病原体を保有しているでしょう。
海外でもこの傾向は同じです。例えば、タイではHIV陽性者が約58万人、中国では65万人とされていますが(中国の実数はこれよりはるかに多いとみられています)、B型肝炎ウイルスやC型肝炎ウイルスはその何十倍も多いのは間違いありません。
つまるところ、HIVというのは血液感染でみても、性感染でみても、他の感染症と比較して、感染力が圧倒的に弱いことに加え、病原体を保有している人に出会う可能性も格段に低いわけです。
もちろん、そのようなHIVにも感染している人はいるわけですから、危険なことをしても大丈夫ということにはなりません。実際、HIVに感染した人たちと話をすると、ごく些細なことで感染している人が多いことに驚かされます。
しかし、全体からみれば、HIVというのはもっとも感染しにくい感染症とも言えるわけで、それならば、HIVだけを調べてその結果が陰性であればそれでOKというのは理屈の上でもおかしいわけです。
ただ、もしもB型肝炎ウイルス、C型肝炎ウイルス、HTLV-1などが、HIVに比べて治癒しやすいものであったとすれば、HIVに最も注目すべきということになります。
けれども、実際はそうではありません。HIVに対しては、効果の高い薬剤が次々と開発されたおかげで、現在はかなりの確率でエイズを発症しにくくなっています。しかも、最近では薬を飲むのは1日1回、朝だけとなっています。これなら、薬を職場に持っていく必要もありませんし、規則正しい生活をしていれば飲み忘れることもないでしょう。
一方、他の感染症をみてみると、例えば、B型肝炎ウイルスに感染して、ウイルスが体内に遷延し慢性化した場合、高価な薬をかなり長期に渡って服用しなければなりません。(B型肝炎ウイルスの薬は、HIVに対しても使われることのあるものです) それに、B型肝炎ウイルスに感染すれば、急性肝炎から劇症肝炎に移行することもあり、そうなればかなりの確率で命を奪われます。危険な性行為をした数ヵ月後に命を落としているかもしれないのがB型肝炎ウイルスなのです。(だからこそ、ワクチン接種が大切なのです!)
C型肝炎ウイルスは、B型肝炎ウイルスのように劇症化することはほとんどありませんが、その多くは慢性化し、やがて肝硬変や肝癌に移行していきます。ウイルスを死滅させる薬としてインターフェロンという注射薬があります。最近は、かなり効果の高いインターフェロンが使われるようになってきましたが、それでもおよそ6割の人にしか効きません。あとの4割は何もなす術がないのです。しかも、インターフェロンの注射は週に一度、約1年間打ち続けなければなりません。副作用の少ない注射ではありませんし、それを乗り越えたとしても4割の人は効果がなく、やがて肝硬変や肝癌を待つことになるのです。
HTLV-1はさらに絶望的で、いったん症状が出現すれば有効な治療法がほとんどありません。
もう一度まとめなおすと、HIVよりも、B型肝炎ウイルス、C型肝炎ウイルス、HTLV-1などの感染症の方が、病原体を保有している人がはるかに多く、感染力も強く、感染すれば有効な手立てがないことも多いのです!
さらに、クラミジアや淋病といった尿道炎、咽頭炎、子宮けい管炎をきたす性感染症も早期発見すれば簡単に治りますが、放置しておくと危険な状態になりかねません。特に、女性が子宮けい管炎をおこした場合、進行して卵管炎がおきれば卵管がつまり不妊の原因となりますし、さらに進行しておなかのなかまでいけば緊急開腹手術になることもあります。
HIV感染が心配ならば、HIVだけでなく、他の感染症も確認しておく必要があるということがお分かりいただけたでしょうか。
参考:
太融寺町谷口医院ウェブサイト
「はやりの病気」第43回「B型肝炎にはワクチンを」
「はやりの病気」第47回「誤解だらけのHTLV-1感染症(前編)」
「はやりの病気」第48回「誤解だらけのHTLV-1感染症(後編)」
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