GINAと共に
第 7回 「風俗嬢ダイアリー」へようこそ(07年 1月)
先月から、GINAのウェブサイトで日本の(現役/元)風俗嬢のエッセィを連載しています。私個人としては、この企画によって読者に2つのことを訴えることができれば、と考えています。
ひとつは、現在の日本の風俗業界では、「性感染症の予防ができていない」という点です。「風俗嬢ダイアリー」のトップページで、編集部のある女性は次のようにコメントしています。
不思議なことに、多くの風俗の現場で、性感染症を予防する行為をすることができません。皆が、そこでの行為で性感染症がうつるかもしれない、と思い当たり、そして働く者にしてみては、うつらないようにしたい、安全に働きたいと、思っているにもかかわらず、です。
この言葉は、現在の日本の風俗嬢の思いを象徴していると言えるでしょう。「安全に働く」ということは、誰もが求めることのできる権利のはずですが、まさに"不思議なことに"感染症の予防ができていないという現状があります。
なぜでしょうか。
ひとつは、男性客の理解の低さでしょう。彼女らに話を聞いていると、コンドームの使用を拒否する男性客がいかに多いかということに驚かされます。心から信頼し合える恋人どうしであれば、お互いに感染症の検査をおこないリスクがないことを確認すれば、(避妊の問題を除けば)コンドームは不要ですが、出会ったばかりの男女がコンドームなしの性行為(unprotected sex)をおこなうなどということは危険極まりない行為です。
私は日々の臨床で、性感染症に罹患した患者さんを診る機会がありますが、「オーラルセックスで性感染症にかかることを知らなかった」と答える人が多いことに驚かされます。他のところでも述べましたが、風俗店で性感染症に罹患し、それを知らない間に自分の恋人や奥さんにうつしてしまったという男性がいかに多いかということは知っておくべきでしょう。
GINAがおこなったタイのセックスワーカーに対するアンケート調査でわかったことのひとつは、「(西洋人に比べて)日本人はコンドームを使用したがらない」ということです。アンケートの具体的な質問事項ではないため、具体的な数字では出てきませんが、彼女たちのコメントをまとめると、日本人の特徴は、「オーラルセックス(フェラチオ)が好きで、コンドームを使いたがらない」、ということです。(ちなみに、アラブ系の男性客はオーラルセックスには興味を示さないそうです)
風俗店も客商売ですから、できる限り顧客のニーズに応えようと考えるでしょう。その結果、現場で働く風俗嬢たちが危険な目に合っている、という構図ができあがってしまっているのです。
おそらく日本人のこの民族性(?)が、国内の風俗嬢たちを危険な目にさらしているのでしょう。
もうひとつ、「風俗嬢ダイアリー」を通して、読者に伝わってほしいと私が願うことは、彼女たちは決して他者から蔑まされる対象ではないということです。
たしかに、彼女たちの多くは、名前をオープンにしたり、堂々と公の前で発言したりすることには抵抗をもっています。これは仕事の特性を考えたときに止むを得ないことでしょう。そもそも、"性"の問題は"理性"では説明ができないものであり、その"性"のサービスを供給する職業に従事する彼女たちは、"理性"の社会(日常の社会)では"闇"的な(非日常の)存在となります。
この私の考えに対して反対する人がいるかもしれません。「社会に"闇"など必要はない。すべてのものごとを"理性"で解決すべきだ」と考える人たちです。このタイプの人たちと話をして私が驚くのは、彼(女)らは、例えば「暴力」や「売春」といったものを「消滅させるべき"悪"」とみているということです。
しかし、少し考えれば分かりますが、古今東西を振り返って「暴力」や「売春」が存在しない社会など皆無であることは自明です。売春婦のいない社会、マフィアのいない社会などあり得ないのです。(例外があるとすれば現在の北朝鮮かもしれません。北朝鮮には売春はありますがマフィアがいないそうです。まあ、国そのものがマフィアのようなものですが・・・)
「暴力」や「売春」なんか自分には関係がない、と考える人もいるでしょう。もちろん、それはそれでかまわないのですが、そんな人にも"理性"で物事が考えられなくなるときはあるはずです。例えば「恋愛」がそうでしょう。「不倫」や「禁じられた恋」を例に出すまでもなく、恋愛の真っ只中にいる人は"理性"だけでは行動していないはずです。そもそも"理性"的な恋愛など、本当の恋愛と呼べるのでしょうか・・・。
現実的な視点に立つならば、すべての人が、「暴力」や「売春」あるいは「恋愛」といった理性的ではない"闇"と共存していくことが大切であるはずです。"闇"の世界で仕事をしている人たちは、すでに相当な苦労を強いられています。例えば、アパートを借りたり、クレジットカードをつくったり、といったことは"理性"的な仕事をしている人のようにはできません。また、多くの人は、どこかで"負い目"のようなものを抱えて生きています。
けれども、"職業"や"生きている社会"といったレベルではなく、もっと根源的な次元において、"人間の尊厳"というものがあるはずです。
風俗嬢をいたわりましょう、あるいは逆差別しましょう、などと言うつもりはありません。むしろ、安易な気持ちで風俗の仕事を始めるな! というのが私の考えです。しかし、どんな社会にも、(広い意味の)売春で生計を立てている人がいるのが現実なわけですから、大切なのは、"日常"の社会のなかで彼女たちと出会ったときは、"普通に"接するということです。あるいは"闇"の社会で彼女たちと出会ったならば、根源的な次元においての"人間の尊厳"を尊重する、ということです。
医療現場というのは、"理性"の社会でありますが、同時に、患者さんは自身の"闇"の部分についても話します。患者さんは、家族や友達にも言えない本音を医師には語るのです。
その人の"闇"の部分も尊重しながら"理性"的に医療をおこなう・・・。これが私の理想です。
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ひとつは、現在の日本の風俗業界では、「性感染症の予防ができていない」という点です。「風俗嬢ダイアリー」のトップページで、編集部のある女性は次のようにコメントしています。
不思議なことに、多くの風俗の現場で、性感染症を予防する行為をすることができません。皆が、そこでの行為で性感染症がうつるかもしれない、と思い当たり、そして働く者にしてみては、うつらないようにしたい、安全に働きたいと、思っているにもかかわらず、です。
この言葉は、現在の日本の風俗嬢の思いを象徴していると言えるでしょう。「安全に働く」ということは、誰もが求めることのできる権利のはずですが、まさに"不思議なことに"感染症の予防ができていないという現状があります。
なぜでしょうか。
ひとつは、男性客の理解の低さでしょう。彼女らに話を聞いていると、コンドームの使用を拒否する男性客がいかに多いかということに驚かされます。心から信頼し合える恋人どうしであれば、お互いに感染症の検査をおこないリスクがないことを確認すれば、(避妊の問題を除けば)コンドームは不要ですが、出会ったばかりの男女がコンドームなしの性行為(unprotected sex)をおこなうなどということは危険極まりない行為です。
私は日々の臨床で、性感染症に罹患した患者さんを診る機会がありますが、「オーラルセックスで性感染症にかかることを知らなかった」と答える人が多いことに驚かされます。他のところでも述べましたが、風俗店で性感染症に罹患し、それを知らない間に自分の恋人や奥さんにうつしてしまったという男性がいかに多いかということは知っておくべきでしょう。
GINAがおこなったタイのセックスワーカーに対するアンケート調査でわかったことのひとつは、「(西洋人に比べて)日本人はコンドームを使用したがらない」ということです。アンケートの具体的な質問事項ではないため、具体的な数字では出てきませんが、彼女たちのコメントをまとめると、日本人の特徴は、「オーラルセックス(フェラチオ)が好きで、コンドームを使いたがらない」、ということです。(ちなみに、アラブ系の男性客はオーラルセックスには興味を示さないそうです)
風俗店も客商売ですから、できる限り顧客のニーズに応えようと考えるでしょう。その結果、現場で働く風俗嬢たちが危険な目に合っている、という構図ができあがってしまっているのです。
おそらく日本人のこの民族性(?)が、国内の風俗嬢たちを危険な目にさらしているのでしょう。
もうひとつ、「風俗嬢ダイアリー」を通して、読者に伝わってほしいと私が願うことは、彼女たちは決して他者から蔑まされる対象ではないということです。
たしかに、彼女たちの多くは、名前をオープンにしたり、堂々と公の前で発言したりすることには抵抗をもっています。これは仕事の特性を考えたときに止むを得ないことでしょう。そもそも、"性"の問題は"理性"では説明ができないものであり、その"性"のサービスを供給する職業に従事する彼女たちは、"理性"の社会(日常の社会)では"闇"的な(非日常の)存在となります。
この私の考えに対して反対する人がいるかもしれません。「社会に"闇"など必要はない。すべてのものごとを"理性"で解決すべきだ」と考える人たちです。このタイプの人たちと話をして私が驚くのは、彼(女)らは、例えば「暴力」や「売春」といったものを「消滅させるべき"悪"」とみているということです。
しかし、少し考えれば分かりますが、古今東西を振り返って「暴力」や「売春」が存在しない社会など皆無であることは自明です。売春婦のいない社会、マフィアのいない社会などあり得ないのです。(例外があるとすれば現在の北朝鮮かもしれません。北朝鮮には売春はありますがマフィアがいないそうです。まあ、国そのものがマフィアのようなものですが・・・)
「暴力」や「売春」なんか自分には関係がない、と考える人もいるでしょう。もちろん、それはそれでかまわないのですが、そんな人にも"理性"で物事が考えられなくなるときはあるはずです。例えば「恋愛」がそうでしょう。「不倫」や「禁じられた恋」を例に出すまでもなく、恋愛の真っ只中にいる人は"理性"だけでは行動していないはずです。そもそも"理性"的な恋愛など、本当の恋愛と呼べるのでしょうか・・・。
現実的な視点に立つならば、すべての人が、「暴力」や「売春」あるいは「恋愛」といった理性的ではない"闇"と共存していくことが大切であるはずです。"闇"の世界で仕事をしている人たちは、すでに相当な苦労を強いられています。例えば、アパートを借りたり、クレジットカードをつくったり、といったことは"理性"的な仕事をしている人のようにはできません。また、多くの人は、どこかで"負い目"のようなものを抱えて生きています。
けれども、"職業"や"生きている社会"といったレベルではなく、もっと根源的な次元において、"人間の尊厳"というものがあるはずです。
風俗嬢をいたわりましょう、あるいは逆差別しましょう、などと言うつもりはありません。むしろ、安易な気持ちで風俗の仕事を始めるな! というのが私の考えです。しかし、どんな社会にも、(広い意味の)売春で生計を立てている人がいるのが現実なわけですから、大切なのは、"日常"の社会のなかで彼女たちと出会ったときは、"普通に"接するということです。あるいは"闇"の社会で彼女たちと出会ったならば、根源的な次元においての"人間の尊厳"を尊重する、ということです。
医療現場というのは、"理性"の社会でありますが、同時に、患者さんは自身の"闇"の部分についても話します。患者さんは、家族や友達にも言えない本音を医師には語るのです。
その人の"闇"の部分も尊重しながら"理性"的に医療をおこなう・・・。これが私の理想です。
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