バーンサバイニュースレター第14号


バーンサバイニュースレター第14号
 

移住労働者グループ内のエイズ患者のための医療サービス

アマリン・ノーチャイユワング

※バーンサバイがあるサラビイは、とくにタイヤイ(シャン)族が多い地域です。バーンサバイでも、以前アマリン先生ら紹介されたタイヤイ族の男性をケアさせていただいたことがあります。タイに住むすべての市民の健康が平等に保障され、行政の重要項目としていかる基準にそった健康方針を推し進めていくために、人権を重視した健康サービスを広く普及させていきたいと考えています。そして健康に生活できる基盤をつくり、生活の質的向上につながるよう、移住労働者グループと協力しながら、健康サービスシステムを発展させていきたいと願っています。したがって、移住労働者グループへのサービスを念頭におき、 特に、HIVに感染した移住労働者やその合併症によって苦しんでいるAIDS/HIVの人々、差別され捨てられたり、近所の人や同じ国籍の人たちのコミュニティーから軽蔑されたりしている人たちに重点を置き、地域で発生している公衆衛生の問題の改善に貢献していくため、サラビー病院ではシステムの構築が急務と考えられています。通常のシステム内の健康保障の権利は、あらゆる機会を奪われてしまったAIDS患者および HIV感染者の方たちのみに限られています。抗HIV薬の普及率はまだ少なく、 AIDS患者およびHIV感染者の死亡率を高めてしまっているのが現状です。 チェンマイ県サラピー郡は、タイ政府の法令に従って登録を行っている、行っていないに限らず、移住労働者の人々(主にタイヤイ族)が多く住む街の1つです。特にホウキ工場、 にんにく加工工場、層殺場や乾燥ラムヤイ加工工場、土木工事の現場やラムヤイ農場などといった 事業場所で働いている人がほとんどです。2004年から2008年にかけて、サラビー病院の定期健康診断に参加した移住労働者の数は、2736名04年)、3288名(05年)、4516名(06年)、3380名 (07年)および4726名(08年)です。そして健康に関する問題は、主に呼吸器 系の病気、結核、エイズ、さらに出産に関するサービスや避妊などでした。そして2007年から2008年にかけて、自主的にサービスを受けたい移住労働者がは、22名となっています。
HIVの血液検査を受けましたが、陽性の割合は、2007年が7.8%、2008年が 10.1%でした。これに対し、タイ人の陽性割合は、5.8%(07年)、4.7%(08年)です。 そして、抗HIV薬をもらうサービスを受けている者は、年々増えており、現在で具休的在寒施形休
1.病院内の連絡システムの向上
●簡単な連絡手段を使用して迅 速に移住労働者の人々が病院と連 絡をとることができるように、タイ語、英語及びシャン語の3ヶ国語で看板を設置しました。
●移住労働者の人々が連絡の場として友人と話したり、シャン語の情報交換ができるように、移住労働者センター(Migrant Center)を設置しました。そこには、いろいろな資料も置き、情報を得やすくしました。また、公 衆衛生関係の外国人スタッフを連絡係として配置しています。
●同センターへ情報サービスを受けに来た移住労働者のために、エイズに関する啓蒙を促すためのメディア関連資料/パンフレットを、シャン語で作成しました。パンフレットの主な内容は、エイズ、結核、避妊や出産などの重要な問題に絞って説明しています。また外国人スタッフは全員シャン語をタイプすることができます。
2.エイズ患者のためのケアサービスシステムの向上
●クリニックにおけるエイズ患者のための抗HIV薬の受け取りに関して、 移住労働者には、利用時間を別に設けました。というのも、患者一人一人 が容易にサービスを受けることができるようにシステム調整をしたためです。 サービス時間は、毎月最終週の金曜日の午後1時から3時までとし、毎回 外国人公衆衛生スタッフによる健康学習会が開かれます。
●夫婦一緒にタイへ出稼ぎに来ていたとしても、相談内容やHIVの血液検査(VCT)結果から見てみると、感染者が全体的に増える傾向にあります。したがって移住労働者へのエイズに関する研修は急務であると考えられます。
●移住労働者のための抗HIV薬によるエイズ治療についての知識提 供や研修以外にも、より知識や情報を増やし、薬を飲むことの重要性をしっかり患者に理解してもらうため、個人単位、グループ単位の健康学習を行います。
●移住労働者のエイズ患者との交流については、以前からサラピー郡のエイズ患者グループとの交流活動が、1ヶ月に1回あり、参加者はおよそ60〜80名ぐらいでした。ほとんどがタイ人で、タイヤイ族の人たちの参加者は、およそ5~7名ぐらいのみでした。彼らは、性格的に控えめで、あまり自分をさらけ出したりできないように見うけられました。その結果、抗 HIV薬を飲むことを怠ったり、抗HIV薬を受け取った後、自己管理をどう
するかの知識や理解に欠けていたりすることがありました。そのためグル
ープを移住労働者のみに分けたところ、その後参加者が急増しました。ま
た何人かは親戚を連れて参加するようになりました。グループのリーダー
や連絡し合える友人(友人間の相互扶助)が増えて、規則正しく抗 HIV
薬を飲むルールができ、なかなかよい傾向だと考えています。
プロジェクトメンバー数
・外国人公衆衛生スタッフ
・・・1名
・外国人公衆衛生ボランティアスタッフ
・・・10名
・エイズ患者とその家族
・・・ 25名
・事業に参加する外国人労働者
・・・300名
プロジェクトの期待できる成果
1.移住労働者グループのためのサービスシステム開発委員会があり、病院長がその委員長となり、病院の各部署から委員を集めて構成されて います。このことにより、担当者の移住労働者に対する見方、考え方に多 大な変化があり、お互いの理解や認識の向上に貢献しています。
2、タイ人と移住労働者の間の連絡システムに携わるスタッフの仕事時間の短縮化については、研修を受けた外国人公衆衛生スタッフがサービ スを受けに来た人へ正確な資料データーを提供し、病院のいろいろな場所に看板を設置するようにしています。それ以外にも、移住労働者連絡 センター(Migrant Center)にも、移住労働者の方たちがいろいろな資料データーを閲覧、学習できるように改善していく予定です。
3.まだそれ程しっかりした結びつきとは言えませんが、以前からの活動を通して、事業内でのボランティアが10名、協力的な事業主5社が共同で連携して、活動支援してくれるようになりました。その結果病院側や外 国人スタッフは、知識を促す研修やいろいろなデーター収集が以前より やり易くなりました。
4.健康診断システム、通訳を通した相談サービスシステムといった、移 住労働者の問題を受け入れることのできる健康サービスシステムを整えて
いき、サービス利用者に、より深い理解を促し、自分らしく自分自身を受けとめていけるようにしていきたいと考えています。
5、公衆衛生省、地方自治体による地域での実績などから人々や地域住民の考え方や観点が少しずつ変わり、 移住労働者に関する活動も少しずつ 増えてきています。

課題
1,屠用者/事業主
まだまだ充分な協力体制が築けていないのが現状です。雇用者/事業主は、 たくさんの外国人労働者を抱えており、その外国人労働者たちの公衆衛生についてあまり重要視していません。ある事業所のタイ人窓口担当者や会計担当者を管理監督マネージャとして委任したことがありますが、判断を下す勇気がありませんでした。
2.移住労働者
タイ側へ移住してきたほとんどの労働者は、出稼ぎをその主な目的としているため、あまり健康に気を使わない人が多く、活動に参加することをあまり重要視しない傾向があります。特に、労働局より認可を取得するために健康診断に来た人々のデーターを見てもわかるように、自己の権利を行使して健康診断に来る人は、何人かに限られています。
3、地域住民の参加
以前までの活動は主に病院と事業主 (雇用者と労働者)との間で行われてきましたが、地域住民や地方自治体の参加はまだまだ不十分です。特に、その土地の住民ではないという理由で、資金援助のできない地方の政府機関などがあります。
(サラピー病院公衆衛生担当官、バーンサバイ理事)
(翻訊;江藤由美、文責;早川文野)

マリ通信(2008年10月〜2009年5月入寮状況)  ― 早川文野

新しいバーンサバイへ移転して、早3 年になろうとしています。移転と同時に植えたパパイヤの樹が成長し、たくさんの実をつけています。おやつの時間には、時折このパパイヤで、辛いソムタム (パパイヤサラダ)を作って、食べています。
さてバーンサバイの2008年10月か ら2009年5月までの入寮者の延べ人数は成人が36名(男性22名、女性14名)、子ども3名でした。相変わらず、男性の入寮者が多い状況です。そしてタイ人以外の方たち、山地民やビルマから来た方々が大部分を占める状態も続いています。 また昨年末から、3月まで入退院が続きました。結核やトキソプラズマ脳炎など、 複数の病気にかかっていますので、治癒までにかなりの時間がかかります。そのため、入寮期間が数ヶ月におよぶ方 が続きました。
※Mさん(男性、18歳)
Mさんは、タイヤイ族でビルマで生まれました。5人兄弟の2番目で、兄弟の父親はそれぞれ異なります。母親がMさんを身ごもって、妊娠7ヶ月目の時に父親が死亡しました。そのためMさんは父親の顔を知りません。そして彼が5歳の時に遠縁を頼って、1人でタイに来ました。母親と他の4人の兄弟は、今でもビルマにいますが、彼は一度も家に帰っていません。Mさんはタイ人ではありませんから普通の学校には行けません。近くのお寺の学校に行 き、14歳まで勉強しました。 15歳になった時に、家が面白くな く、バンコクへ行きました。そして生 活のために職業ゲイとして働きました。 その時に、HIVに感染。1年くらいバンコクで暮らし、また家に戻りました。 そして、友人たちとバイクを盗み、逮捕され、少年院に入りました。1年間少年院で暮らしました。出所の際に、 少年院の所長が無料の職業訓練所を紹介してくれ、そこで6ヶ月間電気工事の技術について学びました。訓練を終えた後は、エアコンの修理店で働きましたが、昨年末に具合が悪くなり、病院へ行きました。そして結核にかかっていることがわかりました。そのまま2週間入院。その際、エイズを発症していることを告知されました。医師はすぐにエイズ の治療を始めたいと考えましたが、彼はタイ人ではありませんから、無料診療を受けられません。そこで少年院の所長が地元の養護施設に相談し、そこからバーンサバイへ問い合わせがありました。結核菌が出ていないことを確認し、入寮となりました。 - 退院した日は養護施設に一泊し、翌日バーンサバイへ来ました。 5時間の長い道のりを車で来たため、疲れていました。とてもやせており、体重が32kgしかありません。 入寮して数日後、頭痛、嘱吐、食 欲不振が始まり、入院。クリプトコッカスというウィルスが脳に入っていました。入院中、食事をしても食べると同時に吐き、どんどんやせ細っていきます。身の回りのこともできなくなり、24時間ケアが始まりました。肺の中にも水がいっぱいたまり、チューブを入れ体外へ出すのですが、思うようには出てきません。体力がないため、肺の手術もできません。医師からは「これ以上 打つ手はない」と言われました。本人も、日々やせ細っていく自分の姿を見て、死を予感しました。「僕は死ぬ。死ぬのが怖い。死にたくない」と、ベッドの上で泣き叫びます。18歳という年齢で、死を背負うには重過ぎます。私は、この若さでは死なせられないと思いました。付き添いながら、生きることについて、話しました。そして、少しづつ彼の気持ちが上向きになった時から、みるみる回復してきました。そして49日間の入院生活の後、無事退院することができました。バーンサバイに戻ってからは、食欲も出て、 体重43kgまで増えました。しかし、まだ免疫力が低いため、体中に湿参が出たり、熱が出たりと、まだまだ安心できません。ようやく一山越えたところです。初めは床づれや湿参の手当て、薬の管理をスタッフがしていましたが、退寮後の生活を考え、少しづつ自分でできるように 移行している最中です。 バーンサバイでは今まで、10代の入寮者を受け入れた経験がありませんので、彼を通じ若い方たちのケアを学ばせてもらっています。若いため感情がストレートに表現されますし、またいろいろなことを吸収する力も旺盛です。Mさんは年齢以上に大人な部分と幼い部分が混在しています。 老練さと未熟さが時拆交錯します。 わずか18年という短い人生ですが、 今までの生活を垣間見る思いがします。
入寮当時は、エイズという病気を受け入れられず、悔しさ、悲しさなどの感情が心の中で、うごめいていました。しかし他の入寮者やスタッフと会話をする過程で、現在はエイズであることを受け入れています。確かに彼は今後の人生をエイズとともに、行きて行かなくてはなりません。しかしそのことで、人生に対して後ろ向きになったり、希望を捨てることなく、
前をしっかり見て生き抜いていってほしいと祈っています。
少年院へ入った時に、養父母とは切れた形になっていました。Mさんは養母が恋しくて、病床からチェンマイまで会いに来てほしいと電話をしても、来てくれませんでした。養護施設の先生も、会議に行く途中にMさんを見舞うので、養父母を誘ってくれましたが、とうとう一度も来てくれませんでした。そして生死の境をさ迷っているMさんに、お金を送金してほしいと言う電話が来るのです。Mさんは入寮時に、少しお金を持っていました。
そのなけなしのお金を、彼は養母のために、2度送金しました。おそらく養父母も生活が苦しいので、電話をかけてきたのだと思います。ひたすら養母を慕っているMさんを見ていて、 この2人のつながりについて考えさせられました。 Mさんはもうしばらく、体力が回復するまでバーンサバイで暮らします。元気になっても、今後の生活は決して平坦ではないでしょう。さまざまな問題に直面することと思います。苦しい時、落胆した時に、 人生を投げ捨てずに、越えていってほしいと切に願います。あの重い危険な状態を無事に越えられた時の闘志を持って、自分自身を愛し、同時に他の人も大切にしながら、かけがえのない人生を歩んでいってほしいと祈ります。
※Eさん(女性、29歳)
Eさんは、アカ族でビルマで出生。15歳の時に国境を渡り、タイへ来ました。タイに来てからは、ずっとチェンマイや近郊の町で売春をしながら生活をしていました。 9ヶ月くらい前に、エイズを発症していることを、医師から言われましたが、Eさんはエイズがどのような病気であるか、 理解していませんでした。昨年末、同居していた男性に逃げられ、具合が悪くなり、困っていた時に、あるNGOのスタッフと出会い、病院へ連れて行ってもらいました。しかし彼女は身分を証明するものを何も持っていませんので、自費で治療するしかありません。そのため、バーンサバイに連絡が入りました。私たちが、Eさんに会いに行った時、彼女はベッドで横になっており、やせ細っていました。 結核でないこととバーンサバイへの入寮の意思を確かめ、そのままバーンサバイ へ入寮しました。体重が33kgしかなく、 食欲もなく、食事の時以外はずつとベッドで寝ています。かなり衰弱していましたので、入院。CD4が18しかなく、血圧も低く、皮膚にカビがついている状態でした。3週間ほど入院。退院後は食欲が出て、45kgまで体重が増加しました。 身分証明書がない人でも抗HIV薬だけはサポートしてくれるプロジェクトに入 り、カビ防止などの薬はバーンサバイが負担したのですが、無料で供給される抗HIV薬が彼女の体質には合わず、発疹が出てきました。薬を変えなければなくなりましたが、新しい薬はプロジェクトにはなく、結局有料になりなりました。 その後、退寮できるまでに元気になったのですが、何も持っていない彼女が行 ける場所が見つかりません。現政府になり、財団法人やNGOに警察の手入れが入り、超過滞在者を見つけると強制送還 されています。そのため、15歳でビルマから密入国し、何も証明書を持たないEさんの受け入れ先を見つけるのに、たいへん苦労しました。彼女は元気になっても、その後のめどが立たず、在寮期間が5ヶ月におよびました。退寮しても身分を証明するものが何もないですから正規の仕事にはつけません。私たちは頭を抱えました。彼女は今までの生活についてほとんど話しません。私たちが彼女の人生について知っていることは、わずかで す。そのため、事実を話してくれなければ、私たちもサポートのしようがないと説明しました。また今後どのように生活していくか、どのように考えているのかについて尋ねても、答えが返ってきません。彼女は幼い時から自分の頭で考えて、話すということをしてこなかったのではないかと思われます。何度も話し合いを繰り返し、以前働いていたカラオケ店に、彼 女の労働許可証のコピーがあるかもしれないと言いました。さっそくその店へ連絡しましたら、書類が残っていて、スタッフとともにすぐに取りに行きました。書類が見つかり、助かりました。 バーンサバイのボランティアの方からカトリック系の施設を紹介していただきました。その施設はチェンマイから遠く離れた場所にありますが、Eさんを引き受けてくれることになりました。そこでは職業訓練もしてくれますので、将来の生活の安定につながります。施設では1000km以上あり、途中いくつもの警察の検問があります。担当医に書類を書いてもらい、スタッフがEさんを送りました。いつも無表情、無反応なEさんですが、バ ーンサバイを去る時、「バイバイ」と言いながら、目にうっすら涙が参ん でいるのを見た時、彼女にも胸の中に去来するものがあることがわかりました。私は祈りながら彼女を送り出しました。途中、3度検問に会いましたが、無事通過できました。 Eさんが新しい施設で一泊した 翌日、彼女から電話がかかってきました。「さみしい。皆が恋しい」と言います。新しい場所で、新しい人生を始めるように、がんばってほしいと伝えました。 彼女は、もともと他の人と交わることが苦手な性格ですから、慣れるまでにしばらく時間がかかることと思います。私たちも、時折電話で近況を確かめるつもりですが、彼女がもう一度、出発地点に立ち、自分の足で生き抜いてほしいと願っています。
バーンサバイが医療費を負担するということで、無料の医療サービスを受けられないMさん、Eさんのように、タイ人ではない方がバーンサバイには多く入寮します。しかしビザをもたない超過滞在者に対してどんどん 取締りが厳しくなってきている昨今、 バーンサバイの仕事もよりむずかしくなってきています。しかし、容易に医療にかかることができない方 たちにこそ、ケアが必要な実情があります。今後は今まで以上に、さまざまな機関や施設との連携を強化していかなくてはなりません。
開設してから、8年目を迎ました。 この10年に満たない年月の中で、エイズを取り巻く状況の急激な変化があります。私たちも、この変化に対応して活動を続けるために、毎日、悪戦苦闘を続けています。
(バーンサバイディレクター)