2011年春、北タイを訪問して

2011年7月 大森 千尋 

 2011年3月17日から4月5日までGINA・谷口先生のご紹介のもと、タイ北部を訪れる機会をいただきました。パヤオ県の様々な施設を見学し、農村部における保健医療について多くを学びました。

【チュン郡立病院エイズセンター】

<ミーティングの流れ>

チュン郡立病院では、毎週水曜日の午前中にHIV陽性者の集会が開かれています。
 
(左:チュン郡立病院。 右:エイズセンター。)


エイズセンターは、病院のゲートを入ってすぐのところに別館風に建てられています。明るく開放的な雰囲気で、誰でも気軽に入っていけそうです。

集会は、まずお祈りから始まります。参加者は床に座り、看護師の合図でお祈りをします。引き続き、看護師から薬の飲み方についての注意事項などお知らせがあり、そのあと、それぞれカウンターで血圧計測と問診を受けて、薬を受け取ります。この日は、43人の陽性者の参加がありました。薬は国民皆保険のおかげで対象者には無料で提供されています。

陽性者はこの集会に参加することで、仲間との会話を楽しんだり、看護師に薬や体調について相談することができます。不安やふとした疑問が解消できる場として、ミーティングが機能していました。
 
(左:自主的に体重を量る陽性者の一人。 右:学生ボランティアが薬配布の手伝いをしている)


<パヤオ県とHIV>

パヤオ県は、タイの中でも貧困率の高い地域で、かつては生計を立てるために売春を生業とする人々も多かったそうです。また、都市部に出稼ぎに行ったり、首都で軍隊に従事した男性が、買春行為でHIVに感染し、その夫から妻へと感染するということもありました。約20~30年前に、HIV陽性者が急増した時期は、全ての人に薬がいきわたるような環境ではなく、医療費も高額だったため、「死の病」として若い人々がどんどん亡くなっていったそうです。「毎週末、道端でお葬式をしているのを見た。遺影を見て、若い人だったら、『ああ、エイズだな』と思ったものだ」とは、そのころからタイで生活されていた日本人男性の談です。


現在は、医療・薬剤の無料化によってHIV陽性者を取り巻く状況は良くなりました。また、地域での支え合い、自助グループや学生たちによる啓蒙活動によって、HIV陽性者に対する偏見・スティグマは軽減されつつあるとのことです。


【プサン郡エイズ自助グループセンター】
 

 
(左:陽性者が作った布製品を販売。 右:テーブルクロスにもショールにも使えます。)



<設立から現在まで>

GINAが支援を行っているプサン郡エイズ自助グループは約120人のメンバーを抱えています。今回、グループのリーダーからお話を伺うことができました。


設立当初の活動としては、メンバー同士で互いの健康相談などを行なっていました。規模が大きくなった現在、グループは、政府やNGOから資金援助を受け、メンバーに対して農業や畜産の職業訓練などを行い、生活の自立を目指して様々な活動を展開しています。


2年前には、政府やNGOからだけでなく、プサン郡の比較的規模の大きな5つの村からそれぞれ活動資金を提供されたそうです。それらの資金はミーティングの食事代、電話代、電気代、水道代などに使用しました。グループは、一軒家を借り切ってメンバーが集う場にしているので、家賃だけではなく、光熱費や電話代なども必要です。コストはかかりますが、いつでも気軽に集まれる場所があるということは、メンバーにとって心の支えとなり、安心感につながるのではないかと感じました。


この20年間でグループが把握しているだけで1万8000人ほどのHIV陽性者のうち約7000人が亡くなったといいます。現在は病院へ通いやすく薬も入手しやすくなり、治療の質は格段に上がりました。また、HIV陽性者であっても、薬のおかげで健康状態が保たれ、農業や日雇いの仕事に就いて現金収入を得ることも可能となり、社会活動に意欲を持つ人が多くいます。

「10数年前と比べると、社会から感じる差別や偏見は少ないとはっきりと言えます」とグループのリーダーは言います。「まず、自分たちが社会から隠れようとはしていません。ボランティアで学校の先生と一緒に生徒たちに対してエイズ教育をすることもあります。村社会に協力・貢献しているという意識があります。」

このような活動を献身的に行なっているからこそ、村から支援金を提供されたのだと思います。グループのメンバーそれぞれが自分にできる方法で積極的に社会に参加しているという印象を受けました。


メンバーのひとりが語ります。


「この10数年間で仲間がたくさん亡くなりました。私は、その原因はエイズという直接的なものではないと思っています。心の病気で亡くなったのです。寂しい、哀しい、友達がいない、そこから体の調子が悪化していって、亡くなっていったんだと思います。私が今、このグループの活動を積極的にできているのは、仲間がいるからです。暗い気持ちにならないんですね。(元気に活動できるのは、)つらいときでも慰め合える仲間がいるから。それが一番の理由じゃないかと思っています」


現在、120人ほどのメンバーのうち14人が委員として活動しています。会計や事務、ミーティングの書記、子どものケアなど各自、仕事を担っています。村のラジオにパーソナリティとして出演することもあるそうです。4人が交代で出演し、週2~3回、1時間ほど、HIVのことや健康問題について話します。

各村には2人の代表者を配置しています。急な連絡があるときは、この代表者にまず連絡をして、それぞれの村にいるメンバーに通達します。横のつながりと縦のつながりを大切にして結びついた関係性を土台として、グループ運営がしっかりなされていると感じました。



<グループの自立、個人の自立>

しかし、グループがここまで至るには問題もあったようです。まずはやはり活動資金の獲得です。政府の予算をグループまで届くようにするためには、アクションを起こさなければなりません。政府に認められる活動をする必要があります。最初はプランも何もなかったそうですが、限られた資金の中から、メンバーが有効な活用をできるように、ということで基金を設立しました。ごく小額の利子をつけてメンバーに貸与し、小規模な農業や畜産を始める軍資金にし、将来、グループに利子をつけて返済してもらうことで資金を徐々に増やしていくという事業を行っています。この基金は、無国籍の移民など、国民皆保険の対象から外れた人に対しても積極的に貸与され、医療費のカバーに役立てているとのことです。


「農業や日雇いの仕事はできますが、問題は、会社や工場で長期雇用者として採用されて働く場合です。日雇いとは違い、長期雇用の場合は、採用前に血液検査がある場合が多いから難しいんです」 グループから軍資金を借りて畑を作ったり、家畜を育てたりして生計を立てる人が多いのは、そういった職種だけが好まれているからというわけではないことがわかります。社会から受ける差別や偏見は以前に比べれば減ったとはいえ、生きていくための生産活動の場である就業面において、チャンスを削ごうとする流れも今だ根強くあることを思わされました。



<エイズ孤児たちの支援>

エイズ孤児についても伺いました。グループでは、2011年現在、男子108人、女子86人のエイズ孤児のサポートを行なっています。学校に行くための奨学金を探したり、食事や衛生面など面倒を見たり、時には躾を行うこともあるそうです。多くの大人が子ども達の未来を考え、わが子のように教育や情緒面でのケアを親身になって行っています。


「私は40代ですが、自分のことはもう大丈夫だと確信しています。心の整理もできています。今は自分たちのことよりも10代、20代の若者たち、子どもの世代が心配なんです。若者の間で陽性率が上昇してきているのが一番重い問題です」


「子どもは大人が『指導』しても聞きません。子どもに伝えたい話があるときは、まず子どもたちのリーダーに話をします。その子が理解したら、子ども達の間でそのことについて共有し、話し合い、一緒に考えていくのが良いやり方だと思います。子どもたちが、自分で考えることが大事です。理解できたら、物事を自分の意思で決めることができますから」


子どもたちは、週末にラジオのパーソナリティをつとめ、歌を流しながらHIVについての話をします。グループで話し合い深めた考えを彼らの言葉で発信していくことで、大人が上から指導するよりもまっすぐに同世代の子ども達に届くと思いました。


また、自分たちで活動資金を作りたいということで、Tシャツに絵を描いて売るなどアイデア豊富に頑張っているようです。子ども部門でミーティングを開き、委員を選定して継続的に活動しはじめています。子ども達自身が活動内容を決め、大人はサポートに徹します。



<学校での活動について>

グループでは、公立中学校を訪問し、1年に数回、ゲームをしながらHIVのことを教える活動をしています。リーダー曰く、「個人的には学校教育だけでは足りないと思います。手遅れにならないうちに正しい知識を早い時期から教えるべきだと思います」。ボランティアによるHIV感染予防教育は、中学1年生からを対象にしているとのことです。


日本でも、性教育のあり方は地域や学校によってまちまちです。以前は、「性教育は興味・関心を増長させるだけだから、遅らせたほうが良い」という意見がありましたが、現在では、正しい知識を得ることで、望まない妊娠や性感染症のリスクを減少させることができるという説が主流になっています。



<自助グループで大切なこと>

「一番大切なことは、グループで元気に活動すること」

リーダーは再度繰り返しました。

仲間がそばにいてくれること、一人ではないこと、自分ができることを行って社会とつながっていくこと。

適切な治療を受け、薬を服用することも体調コントロールのためにはもちろん大切ですが、人と人との絆が心のエネルギー源となることがわかりました。今回、通訳をしてくださったHIV陽性者ではないトムさん(Khanitta Akatsukaさん)がグループの代表者をつとめていることでもわかるように、HIV陽性者だけではなくいろいろな立場の人を巻き込みバラエティ豊かな活動を行い、包容力のあるグループになっていました。メンバーは、ゆるやかな信頼の関係性で結ばれているような感じを受けました。



【国立メーラオ病院】
 

 
(お話をしてくださったメーラオ病院院長(左)と看護師(右))


<健康の基本>

まず、院長先生がお話をしてくださいました。院長先生は医師として西洋医学の実践を行ってきましたが、食事と環境の改善で健康を管理する必要性を実感し、医療の実践と並行して、鍼、体操、ハーブ療法、伝統的な食事による健康指導の実施を病院全体の指針として取り入れているそうです。病院の食堂では、職員はマイクロビオテックの食事を取ることができます。

 
(左:ハーブボール作成用のハーブを刻んでいる。この後、機械にいれて乾燥状態にしてから布に詰め込んでハーブボールをつくる。 右:使用前に蒸してから体に押し当てて使う。)


<エイズ対策について>

メーラオ病院で治療を受けているHIV陽性者291人のうち、261人がARV(抗レトロウィルス薬)を服用していますが、この薬は服薬管理が難しく、決められた量を決められた回数きちんと飲んで継続しないと、薬に対する耐性ができてしまい、効かなくなってしまうそうです。メーラオ病院でも13人のHIV陽性者が、耐性のため最初の薬剤が効かなくなってしまい、違う種類の薬剤を取り寄せなければならない状態だそうです。


そのため、病院では、薬の管理に非常に留意しています。まずは、服薬スケジュールと量を毎回守ることの重要性を指導し、副作用についてもしっかりと説明を行って、患者から承諾が得られたら服薬を開始します。


HIV陽性者のプライバシーにも配慮がなされていて、薬剤は布袋に入れて患者に手渡されるそうです。通常はビニール袋を使うのですが、他の人から中身が見られることを防ぐために布袋を使用しています。


メーラオ病院でもHIV陽性者による自助グループがあります。 メンバーは、病院が組織している地域ボランティアグループの活動に参加して、精米作業を手伝うなどしてコミュニティーに貢献したり、入院したHIV陽性者が出ればグループでお見舞いにいったりしています。


メーラオ病院では、HIV感染予防教育の一環として、学校や村を訪問してセミナーを開くこともあるそうです。また、病院スタッフの子どもを集めて予防教育を行うこともあります。



<地域ボランティアの活動>

病院の地域ボランティアというのは、聞きなれない言葉ですが、日本でも比較的規模の大きい病院では外来案内やイベント・セミナー運営に携わるボランティアが活躍しています。しかし、日本の病院ボランティアは、院内で活動を行なうことが多いのですが、メーラオ病院の場合は、病院と地域を結び付ける役割をしています。メーラオ病院のボランティアは各村に2人います。村長の呼びかけによる立候補をベースとして選定されます。全体的に、経済的・時間的に余裕のある生活をしている人が多く、高齢者も数多く参加しています。ボランティアは、常に知識を更新していかなければならず、研修会への積極的な参加が求められます。


地域ボランティアの仕事は多岐にわたり、高齢者向けの体操方法を習得して村の人々に広めたり、高齢者や自宅で闘病生活を送っている人を定期的に訪問したり、村で病気の人が出ると病院に知らせにいくことも含まれます。病院から地域へ、地域から病院へ。情報も人も双方向に行き交っていることがわかりました。

(メーラオ病院義足センターでは、アルミ缶のプルトップを集め、義足の金具部分の材料にしている。外国からの送付も受け付けている)



【保健センター訪問】
 
(左:ホンヒン保健センター。 右:一階の外来スペースでは、飲料水サーバーや新聞・雑誌ラックが配置され、待っている患者が快適に過ごせるようになっている)



<コミュニティ・ヘルス>

パヤオ県とチェンライ県で3つの保健センター(メッタン、ホンヒン、タックワン)を訪れる機会を得ました。保健センターは、日本の保健所に近い公的な保健医療施設です。一つの保健センターの管轄規模は、それぞれ5村から11村で、対象者数は約5,000人、スタッフは所長以下、看護師・保健師2~3名で構成されています。



<保健センターの業務>

■チェンライ県メッタン保健センターの業務スケジュール
  午前 午後
月曜日 健康相談 村落巡回
火曜日 妊婦検診 村落巡回
水曜日 家族計画相談 村落巡回
木曜日 子ども健康相談 村落巡回
金曜日 学校訪問 村落巡回
※必ずしも上記の項目しか受け付けないのではなく、柔軟に対応している。土日もスタッフは勤務。



冬季は風邪、夏季は下痢、雨季は畑仕事が増えるため切り傷などの農業従事者の怪我が多くなります。タイも食生活の変化と高齢化に従い、高血圧や糖尿病の症状を訴える人が増えてきているようです。


ホンヒン保健センターを見学したときは、朝から看護師が数人の患者の対応をしていました。高血圧の女性に対しては、血圧を測定し、郡立病院でもらってきた薬を見て服薬指導。産後女性には帝王切開の抜糸。畑仕事で金具が手の指に刺さった女性の処置。前日に切り傷の処置で訪れた男性に消毒を行なうなど、その業務は多岐に渡りました。日本では看護師が行なうことのない、傷の縫合を保健師2人が行なっていたことに驚きました。


保健センターでは、HIV抗体検査は行なわれないそうです。検査を受けた方が良いと思われる場合は、病院を紹介します。


25歳以上の既婚者女性には、5年ごとに子宮癌検診が行なわれます。保健センターでは検体の採取だけ行い、結果は病院で受け取るようになっています。


国境に近い地域にあるタックワン保健センターの所長の心配ごとはラオスからの山岳民族だといいます。国籍を持っていない彼らは、国民皆保健の対象者から外れてしまうため、高い医療費を支払わなければなりません。体調が悪くても我慢したり、医薬品として認められていない薬剤を行商人から買って飲み、更に症状を悪化させてしまうこともあります。


タックワン保健センターでは、毎日、マッサージのサービスも行なっています。ハーブボールなどを使用して首や肩の筋肉をほぐし痛みを取り除いていきます。ホンヒン保健センターでは、ヨガのポーズを示したポスターが貼ってありました。看護師のマーさんに尋ねたところ、「タイヨガよ」と答えてポーズをとってくれました。ハーブやヨガを積極的に取り入れるスタイルは、タイの医療施設の随所で見受けられました。

 
(左:畑仕事中に金具が指に刺さった女性の処置を行なう保健師(奥2名)。 右:清潔な診察室)



<病院との連携>

週1回、病院から歯科医が保健所を訪れ診察を行なっています。

また、村の保健センターで体の不調を訴えた人で、病院への照会が必要な場合は、スカイプのようなソフトを用いてオンラインで連絡を取り指示を仰ぎます。保健センターは、人々が自分の健康問題を気軽に相談できる場所として機能していました。大きな病院に行くとなると、交通費もかかるし、待ち時間も長いし、躊躇する人も多いと思いますが、「とりあえず保健センターでちょっと見てもらおう」という気持ちにならなるのかもしれません。


<保健センターのボランティアの役割>

1つの村に約10人のボランティアがいます。村で病人が出ると、ボランティアが保健センターに連絡し、看護師が訪問して問診を行ない、必要であれば病院へ行くことをすすめます。ボランティア→保健センターの看護師→病院の医師へとつなぐルートが確立しています。またボランティアは、保健センターのスタッフが村に出向いて子どもに予防接種を行う場合に、看護師の手伝いをします。マラリア対策で村に蚊の発生を抑える薬剤を散布しますが、その際もボランティアがサポートします。

1ヶ月間に2日間程度、血圧計測などの研修を保健センターで受けます。以前は、謝礼は支払っていませんでしたが、現在では月に600バーツを支給しています。

ボランティアは問診表を作成するという仕事があります。ボランティア1人につき、10人~15人分の作成を担当します。生活習慣病対策が必要となってくる35歳以上の対象者を特に詳しく問診します。身長、体重、血圧、喫煙歴、飲酒歴、家族構成や既病歴など書き込み、保健センターに提出されます。その結果、保健センターでは管轄地区の住民すべての基礎的データを所有することになります。
 
(左:整然と並んだ各村のボランティアが提出した問診表の保管箱。 右:村の構成員の情報が記載されている。)



【訪問を終えて】

タイのエイズ対策は、本などでもよく目にする機会があり、「タイに比べれば、日本はエイズ対策後進国だ」という表現も見たことがありました。しかし、最近ではタイの若い世代で再び感染率が上昇し始めているというお話を伺い、無関心こそが最大の問題ではないかと思いました。身近な人が多く亡くなっていった世代の人に比べ、タイの10代の若者たちは、そのころの状況が実感として沸かないのではないかと思います。日本でもまた、HIV感染に関して、「私は大丈夫」、「自分には関係ないこと」と思っている人は多いのではないでしょうか。しかし、日本の新規感染者数は増加の一途をたどっています。

今回訪れたどの場所でもボランティアの活動についての話を多く伺いました。日本では、医療を行なう者、受ける者という構図がまだまだ強いように感じますが、タイでは、病院や保健センターのボランティアとして、住民が積極的に保健医療に携わり、地域で活躍していました。近年、医療もまたサービスの一環であるという捉え方もされてきていますが、ただ受動的にサービスを受けるだけではない積極的な住民の力をタイで感じました。自分の身体と心について考え、環境をより良いものに変えたり、食生活や運動を行うことでより健康になろうと努めたり、病気や障害を抱えていても快適に暮らしていけるように社会を変えていこうと人々とつながり行動していく姿勢があってこそのサービスの活用だと感じました。

さまざまな状況の中で生きている人の生活に思いをはせること、自分に出来ることを責任を持って行なっていくこと。社会で生きる上で基盤となる姿勢をタイで教えてもらったように思います。


大森千尋(おおもり・ちひろ)

大学院修了後、民間企業勤務と青年海外協力隊参加を経て、現在、大阪市立大学医学部看護学科在学中。

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