南タイの売春事情
谷口 恭 2006年6月
目 次
1 置屋訪問で健康管理
2 少なくない日本人の顧客
3 両親を助けるための売春
4 売春価格は900円
5 最大の関心ごとは性感染症
6 娼婦よりも高級な男娼
7 HIV陽性のセックスワーカー
1 置屋訪問で健康管理
2006年6月上旬、私、谷口恭は、タイ南部のソンクラー県にあるThaksin大学を訪問しました。同大学の公衆衛生学教室教授Dr.Chutaratに会い、南タイの売春事情について教えてもらうことが目的です。
Dr.Chutaratは、南タイ、さらにはマレーシアにいたるまでのHIV/AIDS、性感染症、セックスワーカーといった諸問題についての研究をされており、すぐれた業績を残されている教授です。
(写真1) タクシン大学
Dr.Chutaratは、私の訪問に合わせてフィールドワークの日程を組んでくれていました。フィールドワークに参加するのは、Dr.Chutarat、地域の保健師、地域のボランティア、大学院生、そして私、の計5人です。
フィールドワークの内容は、ソンクラー県にある「置屋」を訪問し、そこで働くセックスワーカーの健康状態を把握し相談を受け付け、コンドームを無料配布する、というものです。Dr.Chutaratたちは、定期的にこの「置屋訪問」をおこない、労働者(=セックスワーカー)の健康管理をおこなっているそうです。
ソンクラー県の置屋は、密集しているのではなく、いろんなところに点在しているのが特徴です。衛生的とは言えない路地裏の奥に位置する置屋もありますが、なかにはいろんな店が並んでいるメインストリートに沿って営業しているところもあります。
地元の人間でない限り、そこが置屋だとはなかなか分からないような入り口です。看板に「置屋」と書いてあるわけでもありませんし、入り口を少し覗いただけでは、普通のレストランやバーのように見えますから、一見(いちげん)である外国人が、女性を買うためにこういった店に辿り着くのは、まず不可能のように思われます。
(写真2、3) 置屋の入り口 一見にはここが置屋だとは分かりにくい
2 少なくない日本人の顧客
にもかかわらず、こういった置屋を利用するのは、地元のタイ人よりもむしろ外国人の方が多いそうです。何人かの従業員(=セックスワーカー)に、「客はどこの国の人が多いですか」、と聞いてみると、「世界中のいろんな男性がやってくるわ」、という答えが返ってきました。
「日本人は来ますか」、という私の質問に対しては、「もちろん、日本人も大勢くるわ」、と少し遠慮しながら彼女らは答えました。
私は日本人も客として大勢やってくる、ということに驚きました。なぜなら、ソンクラー県では、西洋人は少しは見かけますが、日本人とはほとんど会わないからです。ソンクラー県は、タイ国一大きな湖がありますし、海岸沿いに位置していますから、きれいな海もありますが、特に観光名所と呼べるような場所はなく、私はソンクラー県に行ったことのある日本人というのを聞いたことがありません。
実際、ホテルやレストランの人に聞いてみても、「日本人なんてめったに来ないよ」、という答えが返ってきますし、「君(私のこと)が、私がみる初めての日本人だよ」、と言われることも多いのです。
にもかかわらず、置屋で働くセックスワーカーたちは、「日本人の客もよく来る」、と言うのです。
3 両親を助けるための売春
今回の置屋訪問は、私がゲスト(?)として加わっていることもあり、従業員(セックスワーカー)との話し合いに、いつもよりも時間を割いてくれました。
彼女らの特徴をご紹介したいと思います。
まず、彼女らのほとんどは、タイ東北部のイサーン地方出身であることが大きな特徴です。逆に、地元のタイ南部の女性は皆無です。これは、タイのセックスワーカーの特徴であり、彼女らはよほどのことがない限り、地元で売春をおこないません。「地元には知り合いがいるから」、というのがその理由です。
今回の訪問で我々が接したのは、全員がイサーン出身者ですが、ハジャイ(タイ南部最大の街で国際空港もある)まで行くと、チェンマイやチェンライなどタイ北部の出身者も多いそうです。これは、タイ南部ではマレーシア人やシンガポール人の顧客が多く、彼らは色の白い女性を好むから、だそうです。タイ北部の女性は肌の色が白いことが特徴です。
Dr.Chutaratの話によると、タイ南部はイサーン地方などに比べると貧困層は多くはないが、それでも売春をせざるを得ない女性も少なくはないそうです。そして、彼女らは地元を離れ、ほとんどはバンコクに出稼ぎに行くとのことです。
(写真4 置屋でのミーティング 右からDr.Chutarat、大学院生、地域のボランティア、谷口。谷口の左横に、ウドンタニ県出身の19歳の美しきセックスワーカーが座っている)
彼女らが身体を売っている目的は、ほとんど例外なく「両親を助けるため」で、給料の大半を仕送りしているそうです。そして、例外なく両親は、自分の娘が売春をしていることを知っているそうです。
この話題になったとき、Dr.Chutaratの表情が変わりました。おそらく、私がそんな両親を非難することを危惧されたのでしょう。私自身は、これまでにエイズホスピスなどで多くの患者さんと接しており、彼女らからそのような話を数多く聞いていましたから、「両親が娘の売春を知っている」ということに対して、もう驚くことはなくなっていましたが、なかなか外国人(特に西洋人)からはこのことが理解されず、両親の非難につながることが多いそうです。
「なぜ売春をするのか」、この答えは「貧困」です。売春の良し悪しを語るときに、「貧困」だけでは本当の問題が見えてこない、などと言う人がいますが(日本の知識人に多い)、実際は、「貧困」こそがその理由なのです。バンコクやナコンシータマラート県出身で売春をしている女性のなかには、ある程度のお金はあり、売春しなくても生きていけるが、もっと裕福な生活がしたいから身体を売っている、という女性もいますが、タイのセックスワーカーの大部分は両親を助けるために身体を売っているのです。
彼女らの大半は、2~3年で売春をやめて実家に戻る予定だそうです。2~3年仕事を続ければある程度の金額を稼げるそうですが、それでも家族一同が生涯安定となるにはほど遠いように思われます。
彼女らの娘たちも、また同じような仕事をせざるを得なくなるのではないか、と私は思いましたが、それを口にすることはできませんでした。
タイの東北部の女性は、結婚・出産が早いのが特徴です。10代で二人の子供がいる、という女性も珍しくありません。ただ、不幸なことに父親はすでにどこかに行ってしまっている、というケースが非常に多いのです。10代で二人の子供を生み、その二人の子供は父親が異なり、その父親は二人とも他に女をつくって逃亡、というケースをこれまでに、タイの女性から何度聞いたか分かりません。
今回の置屋訪問でお会いした女性たちは、全員が20歳前後で、ほぼ全員に子供がいるそうです。なかには妊娠中にその子の父親が去って行ったという女性もいました。
ちなみに、これがバンコクでは事情が大きく異なります。バンコクの女性、特に中流層では、女性は結婚(初婚)が遅いのが特徴です。あるバンコク出身の女性によると、「おそらくバンコクの平均初婚年齢は30歳を超えるのではないか」、と言います。日本文化にも詳しいその女性は、「日本の女性はどうして早く結婚するの?」、と言います。
データでみる限り、日本の女性の平均初婚年齢は次第に上昇しており、地域にもよりますが30歳近くのところもあり、決して早く結婚するわけではないように思われます。にもかかわらず、このタイ女性からみると、「日本の方がタイよりも女性の結婚する年齢が早い」そうなのです。
タイでは、都心部と地方では同じ国とは思えないほど文化や考え方が異なります。これは、タイの売春という問題を考えたときに、忘れてはならないことです。
4 売春価格は900円
彼女らの一回の売春価格は、300バーツ(約900円)です。これは外国人価格で、タイ人が顧客の場合はさらに安い金額となるそうです。約900円というのは客が支払う金額で、彼女らの取り分は半分の約450円となります。
その女性にもよりますが、だいたい一晩で3人から5人程度の顧客がつくために、平均すれば一日に3000から5000円くらいの日収になるそうです。この大半を親への仕送りと貯金にまわすため、彼女らの生活は質素そのものです。
驚くべきことに、彼女らが住んでいるのは、置屋の奥にある個室です。そして、売春行為はこの個室でおこなわれているのです! 3から4畳程度の狭い部屋に、彼女らは衣服や化粧台を置き、その横にあるベッドで客と売春行為をおこなっているのです! まだ10代のあどけない彼女らは、ドアや壁に男性アイドルのポスターを貼っています。色あせたポスターの中で笑顔を浮かべているその男性アイドルをみていると、私は泣きたい衝動に駆られました。
(写真5 アイドル歌手のポスターが貼られているドア。この奥で彼女らは身体を売っている)
(写真6 彼女らの部屋。ここで売春行為がおこなわれている。きちんと整理されている化粧品が虚しい。)
なかには、その狭い部屋の中にシャワーがとりつけられている個室もありました。そして、そのシャワーは決して衛生的とは呼べないようなもので、壁にはなんと数十匹のゴキブリが張り付いています!
(写真7 シャワー付きの個室。 ベッドの右側にシャワーがある。)
(写真8 壁にはゴキブリが・・・。(白線で囲んでいる部分) 彼女も顧客もここでシャワーをあびている。)
5 最大の関心ごとは性感染症
彼女らの最大の関心ごとは「性感染症」です。そのため、同行した保健師は、彼女らひとりひとりに対し、現在なにか症状はないか、どのようなことを心配しているか、といったことを詳しく聞いていました。
タイのHIV/AIDS患者さんのなかには、売春行為が原因でHIVに感染したという女性が少なくありません。そのため、性感染症には細心の注意を払っており、コンドームを2枚重ねて使用しているという女性もおられました。
彼女らの多くは、私にコンドームについて尋ねてきました。「タイ製のコンドームは破れやすいので困っている」と彼女らは言います。私は、保健師が配布しているコンドームをひとつもらって開けてみましたが、別段日本製のものと変わりないように思えます。口で空気を入れて膨らませてみましたが、破れやすいという印象はありませんでした。
しかし、よく考えてみると、私はたしかに医師ですが、コンドームについてきちんと教育を受けたことはありませんし、コンドームの比較をしたこともありません。私に質問してもらっても専門的に答えられるはずがありません。
日本製のコンドームでも破れるときは破れます。私はそれを話して、ゼリーをたっぷりつける、とか、ラージサイズのコンドームを保健師に用意してもらえばいい、とかそういう話をしましたが、一番の原因は、顧客が乱暴な性行為を求めることではないか、と感じました。
ある女性が、私に対して興味深い質問をしてきました。彼女によると、「お金を倍払うからコンドームなしのセックスをさせてほしい」、と懇願する顧客がいるそうなのです。彼女らは定期的にHIVの検査を受けていますが、それでもコンドームが破れるなどのトラブルもあるため、検査を受けているから安心というわけではありません。もちろん、HIV以外の性感染症のリスクもあります。
にもかかわらず、顧客のなかにはお金をつんでコンドームなしの性行為を求める者がいるというのです。なぜ、そんな危険なことを懇願するのか彼女は理解できないと言います。そして、そのようなことを言ってくる男性の大半が、なんと日本人だというのです。彼女は、私に対して、医師としてではなく、日本人としてのコメントを求めていました。
私には返す言葉がありませんでした。彼女に対して謝ったところで何の解決にもならないわけで、私はただ呆然と彼女の瞳を見つめることしかできませんでした。
店を去るときに、彼女らは全員、私に対して「ワイ」(タイ人が習慣としている目上の者に対する両手を合わせて軽くお辞儀をする挨拶)をしてくれました。私は、今回の訪問で、彼女らに対して何もしておらず、ただ話を聞いただけです。
将来的に、GINAとして(あるいは私個人として)、彼女らに対して何かできることがないか、考えていきたいと思いますが、現時点では何も思いつくことはありません。
彼女らから去っていくときに、なんとも言えない虚しさが残りました。
6 娼婦よりも高級な男娼
タイの売春を語るときに、けっして忘れてはならないのが、「男娼」、つまり男のセックスワーカーです。『今そこにあるタイのエイズ日本のエイズ』でも述べましたが、タイはおそらく世界一ゲイに寛容な国で、そのため全世界からゲイが集まってきます。
もちろん、ゲイがゲイを求めてタイに集まることには何の問題もありません。たしかに、男性が男性に身体を売ることには問題がありますが、これは女性が男性に対して身体を売るときに生じる問題とまったく同じものです。
今回のフィールドワークで、最後に訪問したのが「男娼」専門の置屋です。なんと、この置屋は、地域の保健所の横に位置していました。保健所といっても小さな規模のものであり、普通の店のようなつくりなのですが、それでもきちんと保健師が常駐しており、コンドームの自動販売機も置いてあります。その横に同じようなつくりの店があり、そこが男娼専門の置屋となっているのです。
(写真9 地域の保健所。写真の左の方にある壁に取り付けられているのはコンドームの自動販売機。この右横に男娼専門の置屋がある。)
ソンクラー県の男娼と、娼婦(=女性)とは、いくつか異なる点があります。
まず、ひとつめは、彼らは両親を助けるため、というよりもむしろ自分の生活のために身体を売っているということです。タイでは女性が両親を支えるという伝統があり、そのため親の面倒は女性がみるのが一般的なようです。
男娼の顧客は漁師が多いようです。西洋人よりもむしろ、カンボジアやマレーシアの漁師が仕事で上陸した際に彼らを買いにくるそうです。娼婦のいる置屋には、大勢の日本人が来るのとは対照的に、男娼の置屋には日本人はほとんど来ないそうです。パタヤやバンコクに行けばたくさんの日本人のゲイがいますが、ここまでくる日本人ゲイはそう多くはないのでしょう。
もうひとつ、興味深い男娼の特徴があります。ソンクラー県の男娼の売春価格は、一律500バーツ(約1500円)だそうです。女性が一律300バーツ(約900円)ですから、この地域では(というよりもタイ全域で)男娼の方が高級なのです。
7 HIV陽性のセックスワーカー
私がお会いした男娼のひとりは、HIV陽性でした。そのため、同行した保健師は、彼に対しては特に念入りに健康状態を聞いていました。HIV陽性のその男性は、定期的に検査を受けてエイズが発症しないように細心の注意を払っています。
しかし、仕事(=売春)をやめるわけにはいかないのです。キレイごとの好きな人は、「HIV蔓延防止のためだけでなく本人の健康を考えると直ちにやめるべきだ」、と言うかもしれませんが、仕事をやめれば明日から食べていくことができなくなります。大学の公衆衛生学の教授や保健師がそこにいて、勤務地(置屋)の横には保健所がありますが、そのような状況でも、彼に仕事をやめさせることができないのです。私自身も彼に仕事をやめさせて生活を保障することなどできません。
(写真10 男娼2人とのミーティング。このうちのひとりがHIV陽性。(尚、写真撮影には本人から許可をいただいています。))
これがタイの実情であるということをここで訴えたいと思います。今回私がお会いしたHIV陽性の人は男性だけですが、もちろんタイ全国には、HIV陽性の娼婦もたくさんおられます。タイでHIVに感染する外国人が後をたたないという現状は別のところでも述べました。(『今そこにあるタイのエイズ日本のエイズ』、当website「なぜ西洋人や日本人はタイでHIVに感染するのか」参照)
HIV陽性のセックスワーカーに対して何ができるのか・・・。
GINAの今後の課題のひとつです。
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